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市民の台所は戦争遺産 防空壕からの復興、佐世保「とんねる横丁」

アーチ型の天井に防空壕の名残を感じる居酒屋「四軒目食堂」。香川県から訪れた藤沢一郎さん(64)は「戦時中、多くの人が命からがら逃げ込んだ空間が残り、そこで食事をしていることが本当に不思議。『知る』ことは一つの勉強、ぜひ残してほしい空間ですね」と杯を傾けた =長崎県佐世保市(川口良介撮影)
アーチ型の天井に防空壕の名残を感じる居酒屋「四軒目食堂」。香川県から訪れた藤沢一郎さん(64)は「戦時中、多くの人が命からがら逃げ込んだ空間が残り、そこで食事をしていることが本当に不思議。『知る』ことは一つの勉強、ぜひ残してほしい空間ですね」と杯を傾けた =長崎県佐世保市(川口良介撮影)

いらっしゃい!何にしましょうか-。

夏の盛りを過ぎても真夏日が続く9月初旬、市民に愛される〝台所〟には威勢の良い声が響いていた。

かつて軍港の町として栄えた長崎県佐世保市に、先の大戦で掘られた防空壕(ごう)をそのまま店舗として利用する商店街「とんねる横丁」がある。岩山に掘られた8本の防空壕などに鮮魚店や居酒屋などが並ぶ。戦後、路上で営業していた露店が市の要請で壕に移ったのが商店街の始まりで、店舗の数に合わせて新たに穴が掘られた。

岩山に掘られた防空壕などを利用した商店街「とんねる横丁」。上には、廃校となった旧戸尾小学校が建つ =長崎県佐世保市(川口良介撮影)
岩山に掘られた防空壕などを利用した商店街「とんねる横丁」。上には、廃校となった旧戸尾小学校が建つ =長崎県佐世保市(川口良介撮影)

店に入れてもらうと、湿気はこもるが、外に比べひんやりと涼しい。冬は暖かく、防空壕の中は意外にも快適だという。約60年前から、かまぼこ店を営む寺田千枝子さん(86)は「初めて来たとき『こんなところでお店をやるんだ』とびっくりしました。路上は品物であふれ、どこもにぎやかでしたよ」と、当時を懐かしむ。

70年以上営業を続けるホルモン専門店の壁には、開業時に手で掘り進めた「ノミ」の跡が残っている =長崎県佐世保市(川口良介撮影)
70年以上営業を続けるホルモン専門店の壁には、開業時に手で掘り進めた「ノミ」の跡が残っている =長崎県佐世保市(川口良介撮影)

終戦間近の昭和20年6月、佐世保は大規模な空襲を受け、市史によると市街地の3割強が焼失した。多くの死者が出たが、防空壕に避難して助かった人もいたという。とんねる横丁の上に建つ旧戸尾小学校に通った田口勝利さん(90)は、警報が鳴る度に親にせかされ、防空壕に潜った。「中は広く、大人が立って歩けるくらいの高さがあった。避難している間『早く警報がやまないかな』と思っていました」と話す。

戦後78年がたち、当時のことを知る人も少なくなった。「昔のことを取材するなら今がもう最後のチャンスかもしれんね」とつぶやく住民もいた。

焼け跡からの復興を見つめてきた「戦争遺産」でもある横丁で、市井の人々の営みは続いている。 (写真報道局 川口良介)

夜ごと、常連客でにぎわうバー「Tough(タフ)」。マスターの永野恵一さん(63)は「何しろ狭いけど、お客さんの距離が縮まって、一見さん同士でもすぐ仲良くなるんだよ」と笑顔で話す =長崎県佐世保市(川口良介撮影)
夜ごと、常連客でにぎわうバー「Tough(タフ)」。マスターの永野恵一さん(63)は「何しろ狭いけど、お客さんの距離が縮まって、一見さん同士でもすぐ仲良くなるんだよ」と笑顔で話す =長崎県佐世保市(川口良介撮影)
夜ごと、常連客でにぎわうバー「Tough(タフ)」の店内 =長崎県佐世保市(川口良介撮影)
夜ごと、常連客でにぎわうバー「Tough(タフ)」の店内 =長崎県佐世保市(川口良介撮影)
居酒屋「四軒目食堂」の奥座敷の窓からは、瓦礫に埋もれた防空壕の横穴を見ることができる =長崎県佐世保市(川口良介撮影)
居酒屋「四軒目食堂」の奥座敷の窓からは、瓦礫に埋もれた防空壕の横穴を見ることができる =長崎県佐世保市(川口良介撮影)
とんねる横丁の上に建つ旧戸尾小学校のグラウンド =長崎県佐世保市(川口良介撮影)
とんねる横丁の上に建つ旧戸尾小学校のグラウンド =長崎県佐世保市(川口良介撮影)
戦時中、防空壕に避難した当時のことを話す、とんねる横丁の上に建つ旧戸尾小学校に通った田口勝利さん =長崎県佐世保市(川口良介撮影)
戦時中、防空壕に避難した当時のことを話す、とんねる横丁の上に建つ旧戸尾小学校に通った田口勝利さん =長崎県佐世保市(川口良介撮影)

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