和田アキ子、ホール公演引退へ デビュー55周年それでも歌い続ける

最後のホールツアーに臨む和田アキ子(提供)
最後のホールツアーに臨む和田アキ子(提供)

デビュー55周年を迎える歌手の和田アキ子(73)が、10月から始めるツアーを最後に大規模なホールでのコンサートをやめる。「満身創痍。立っているのもつらい。広さにふさわしい歌が届けられない」。誠実さゆえの大きな決断。和田が、あふれんばかりの歌への愛を語る。

10月18日の東京・NHKホールを皮切りに「AKIKO WADA LAST HALL TOUR」と銘打ち、広島文化学園HBGホール、愛知・日本特殊陶業市民会館などでコンサートを開く。

大規模ホールでのコンサートは、これを最後にする。

満身創痍 通院しながら

「見た目ではわからないかもしれないですが、満身創痍なんですよ」

一昨年から右目が見えづらくなっている。昨年、左足の変形性股関節症で立てなくなり、負担をかけた右膝に水がたまり通院を続けているという。

「もう、広いホールにふさわしい歌い方を続けることが難しくなったと判断しました」

和田には、ホールでしか歌わない歌がある。デビュー20周年を祝してシンガー・ソングライター、加藤登紀子(79)から贈られた「今あなたにうたいたい」という壮大なバラードだ。

「会場に足を運んでよかったと思ってもらいたい」と、テレビではほとんど歌わず、ホール公演の締めくくりで歌い続けた。

しかも、マイクを使わず、生の歌声で会場の隅々まで響き渡らせるのだ。

オペラ歌手にならって始めたことだが、声の出し方、響かせ方が異なるポップスで、これをやるのは並大抵のことではない。「6、7曲分の労力を使う」と明かす。

また、衣装など〝見せ方〟にも工夫を凝らすなど、ホール公演にはエネルギーが必要だという。

デビュー55周年の和田アキ子(石井健撮影)
デビュー55周年の和田アキ子(石井健撮影)

「『アッコさんの歌に元気をもらった』といっていただける歌を歌いたい。この体力で中途半端な歌をお聴かせするのは私のプライドが許さない。妥協は嫌い」

だから、今回でホール公演はやめると決めた。

〝芸能界のご意見番〟などテレビを通じてさまざまなイメージを持たれているが、揺るがないのは一貫して第一線の歌手であるということ。

「よく言われますが、確かに酒は好きですし、飲み始めると時間が長い」と笑ってから、「だけど週に2日は抜いています。歌のためなら、なんでも我慢できる」とキリッとした表情でいう。

「感謝、感謝の55年」

昭和43年10月25日に「星空の孤独」でデビューした。174センチの長身に低い声。18歳の異色の新人は、芸能界でいじめの的になった。楽屋にメーク道具を置けば先輩に払いのけられ、「女の楽屋に男がいる」と悲鳴を上げられ、「でかいから隣に並ぶな」とののしられた。

「事務所にも親にも相談できなかった。『私は女です!』なんて真面目に相手にしていたから、ますます、おもしろかったんじゃないですか? けんかになれば私のほうが強いから、手を出されることはなかった」

和田は誓った。自分は、絶対にこういう先輩にならない。そして、必ず大スターになって見返してやる。

44年の「どしゃぶりの雨の中で」がヒットし、誓いの通り大スターへの道を歩むことになる。

「生き残るために10代から懸命で、波瀾万丈でしたけど、いろんなことがあって、それでも良い方向に向かったんだと思う。歌のおかげで道をそれずに生きてこれた。歌に感謝。ファンや支えてくれた周囲の方々に感謝、感謝の55年」

ホール公演は引退する。「今あなたにうたいたい」は今回が歌い納めになるだろう。だが、歌手を引退するわけではない。これからもライブハウスなどでは歌い続けるつもりだ。

10月の公演に向けて1時間ほどのボイストレーニングを週に3回続けている。さらに長く歌い続けるため、節制し、まじめに、まっすぐに生きていこうという。常に自分に言い聞かせている言葉があるのだと教えてくれた。

「関西弁でこういうんですよ。『〝和田アキ子〟を大事にせな、あかんで。人を裏切ったら、あかんよ。ちゃんとせな、あかんよ』」

(石井健)

わだ・あきこ 昭和25年生まれ、大阪府出身。43年、「星空の孤独」でデビュー。代表曲は「笑って許して」「古い日記」「あの鐘を鳴らすのはあなた」など。平成10年に来日したレイ・チャールズと共演し、20(2008)年には米ニューヨークのアポロシアターで東洋人として初めてソロライブ。〝芸能界のご意見番〟としてテレビ、ラジオのパーソナリティーとしても活躍している。

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