Crossing-クロッシング-

「覚醒剤依存症患者が一番好き」闘う精神科医、松本俊彦さん 人のつながりが病を治す

精神科医の松本俊彦さん。薬物依存症治療の第一人者となった今も、患者と同じ目線でこの病と闘う=東京都小平市(鴨川一也撮影)
精神科医の松本俊彦さん。薬物依存症治療の第一人者となった今も、患者と同じ目線でこの病と闘う=東京都小平市(鴨川一也撮影)

一見病人ではない。だから「見えない病」と呼ばれる。苦しい記憶はすぐに薄れ、患者は今のままでいようとする。ゆえに「忘れる病」「治りたくない病」。ただ完治を願っても有効な薬はなく、「治らない病」でもある。薬物依存症。この厄介な、だが人間的な病の臨床にキャリアをささげる医師がいる。世の偏見を排し、患者とともに闘う中でその本質にたどり着いた。いわく依存症とは「依存できぬ病」である-。

「精神科医としてどんな患者が一番好きかと問われたら、私は迷うことなく『覚せい剤依存症』と答えるだろう」

精神科医の松本俊彦さん(55)が自身の半生をつづった『誰がために医師はいる』(みすず書房)。読むと、ギョッとするような文句にあちこちで出くわす。昨今の精神科医療が安易な睡眠薬・抗不安薬処方により依存症を作りだしているとして、研修会などで「精神科医は白衣を着た売人だ」と警鐘を鳴らしていたら、同業者から怒りの抗議が殺到し、身の危険を感じた-とあけすけに書いてしまう。

30年近い臨床経験に基づく秀逸なエピソード、人柄がにじむウイットに富んだ文体。依存症治療の現場という特殊な分野をテーマにしながら、昨年の日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。

松本さんが描写する依存症患者は、いずれも〝血の通った〟人間ばかりだ。その臨床の現実にわれわれ読者が驚くのは、それだけ患者を見る目がステレオタイプ化しているためだろう。

「覚醒剤やめますか? それとも人間やめますか?」

かの有名な警句を日本民間放送連盟が公共広告として放映した昭和58年以降、覚醒剤依存症患者とは、すなわち「廃人」だった。

だが少年矯正の現場でも活動する松本さんは、かつて少年院で出会った少年の逸話をもとに、廃人視への「否」を唱えるのだ。

少年は松本さんに「中学時代の薬物乱用防止教室がつらかった」と明かした。父親が覚醒剤で刑務所に入っていたからだ。「俺の父親は人間じゃないのか。だったら子供の俺も人間じゃないなって」

日本人の薬物使用生涯経験率(一度でも違法薬物を使った経験のある人の割合)は2・3%、覚醒剤に限るとわずか0・5%だ(厚生労働省の平成29年度調査)。欧米各国と比して格段に低く、それだけ一般予防の政策が奏功しているとも言い得る。

反面、大多数の国民が薬物に関わらない社会は、その枠からそれた数%を「快楽を貪(むさぼ)った人間の末路」と見なし、罰すること以外の視座をほとんど持ち合わせない。松本さんは「日本の薬物対策は取り締まりと管理ばかり。使う人間に対する対策がなされていない」と嘆く。

無意味な説教

精神科医として働き始めて3年目。大学精神科の医局人事で依存症治療専門の「せりがや病院」(現神奈川県立精神医療センター、横浜市)へ異動を命じられた。当時の精神医学では、統合失調症を診ることが王道。退院すればすぐにクスリを再使用する依存症患者は「診たくないランキング1位」だった。

依存症の治療経験もなく、できることは説教だけ。患者を「ビビらせる」ため健康被害についてことさら話を盛った。

そんな折、ある患者との出会いがその後のキャリアを変えた。それは「後頭部をバットで打たれたような」衝撃の体験だった。

診察室にやってきたその覚醒剤依存症の中年男性は「害の話は聞きたくねぇ!」と松本さんの説教を大声でさえぎった。「自分の体を使って15年以上、臨床実習してるんだ。害なんてあんたに教えてもらわなくても、俺の方が詳しい」

それでも病院に通う理由は何か。「クスリのやめ方を教えてほしいからだ」と男性は言った。松本さんは黙り込むことしかできなかった。

国立精神・神経医療研究センターの病棟=東京都小平市(鴨川一也撮影)
国立精神・神経医療研究センターの病棟=東京都小平市(鴨川一也撮影)

握りしめた携帯電話

なぜ一部の人間だけが依存症になるのか。わが国の依存症患者の5割以上には別の精神障害の合併が認められるという。また「10代のうちから薬物を使う子供の多くは、消えたいとか、死にたいとか思っているんですよ」。近親者からの身体的・性的虐待、壮絶ないじめ被害の経験…。薬物と同時にリストカットに走るケースも少なくない。松本さんはここから、自殺予防や自傷行為の研究にも乗り出すようになる。

自殺の研究で力を入れたのは実態調査。自殺者の遺族や知人から、亡くなる直前までの詳細なヒアリングを行い、故人のメールやSNS(交流サイト)の投稿にもあたる。「心理学的剖検(ぼうけん)」という調査手法だ。

そこで学んだのは、当事者が強く自殺を決意した場合は支援に限界があるという厳しい現実。だが同時に、最後まで死にゆくことを迷っているという事実だった。

「自殺の名所」と化していた巨大橋梁(きょうりょう)の管理会社から対策を依頼されたときは監視カメラの映像をつぶさに調べた。そこから飛び降りる人が直前まで握りしめていたのは、そろって携帯電話だったという。

松本さんの先のエッセーには次回の診察予約を保留した鬱病の男性患者がそのまま自殺してしまったエピソードが紹介されている。最後の瞬間まで迷いながら自殺する人、引き返す人。生死を分かつものは何なのかを考え、松本さんは後悔を込めてこう書いた。

「次回の診察予約をとること自体に治療的な意味があり、予約の有無こそが生ける人と死せる人とを隔てるものなのだ」(『誰がために医師はいる』)

生きのびるための不健康

「もしクスリを使っていなかったら、自分の人生どうなったんだろうなって」

14歳のときのシンナーに始まり、以後あらゆる違法薬物を使ってきたという女性患者は松本さんの前でこう自問自答した。「たぶんクスリを使っていなかったら、私死んでいたと思う」。薬物が体にあるときだけは自殺念慮が消え「生きられる」に変わった、と。

駆け出しの松本さんには「なんとも都合のいい自己弁護」に聞こえた。だが、その後も他の患者から同じような話を聞くにつけ、ハッと気づかされたという。

「アディクション(依存症)とそこからのリカバリー(回復)は反対のようで実は連続線上のもの。生きのびる手段の一つとして薬物があるのではないか」

つまりクスリは、どこまでも薬なのだ。「快楽」を貪るためではなく、トラウマなどの「苦痛」を緩和するためのもの。酒やたばこと同様に、誰しもが経験したことがあるであろう「生きのびるための不健康」。そうだとすれば、依存症治療のあるべき姿は、薬物に代わる安全で健康的な何かで、患者を支えることにあるはずだ。

松本さんらのチームが考案した覚醒剤依存症の治療プログラム「SMARPP(スマープ)」のワークブック
松本さんらのチームが考案した覚醒剤依存症の治療プログラム「SMARPP(スマープ)」のワークブック

人生をかけて

松本さんらのチームは平成18年、覚醒剤依存症の治療プログラム「SMARPP(スマープ)」を立ち上げた。患者同士のグループセッションを通じて依存症のメカニズムを学んだり、薬物の欲求を高めるトリガー(引き金)が何かを互いに話し合ったりする。

薬物をやめること自体は簡単だ。入手できない場所へ隔離すればいい。難しいのはやめ続けること。松本さんによれば、再使用のタイミングは、刑務所出所直後や退院直後が最も多い。

そこでスマープは、断薬の期間ではなく治療の継続に重きを置く。セッションでは薬物使用の近況について参加者同士で話し合う。尿検査で覚醒剤反応もチェックする。

「実は昨日またやっちゃったんです」

今にも泣き出しそうな声で、セッションでそう告白する参加者も少なくない。それもまた治療の観点からは大きな前進だという。「失敗してもセッションに来るのは『変わりたい』という気持ちが強いから。このままじゃいけないって」

尿から覚醒剤反応が出ても、決して警察や家族には伝えない。患者が再使用してしまったことを安心して打ち明けられる唯一の場所として、スマープを機能させるためだ。

スマープやそれに準じた取り組みは今や全国に広がっているが、「一番大事なのは始まる前と終わった後の雑談の時間なんですよ」。スマープにはリハビリ施設職員も参加している。つながりができれば、患者はプログラムを終えても自主的に治療を続けられる。

松本さんが部長を務める薬物依存研究部
松本さんが部長を務める薬物依存研究部

薬物依存症とは、クスリという「物」に依存する病だ。それは「人」に依存できなかったことの裏返しでもある。依存症は「孤立の病」。薬物に代わる安全で健康的な何かとは「人とのつながり」に他ならない。

「依存症患者はみんな噓つきだし、いつも自分を大きく見せようとする。でもそこが人間臭くて。自分と似てる感じがして」。依存症治療の国内第一人者となった今も、その視線は患者と同じ位置にある。

「僕らの武器は耳と口だけなんですよ。もうそれが何かすごくね、キャリアをかけるなら、これが一番いいんじゃないかって思ったんですよ」

まつもと・としひこ 昭和42年、神奈川県小田原市出身。平成5年に佐賀医科大を卒業後、研修を経て国立横浜病院精神科、神奈川県立精神医療センターなどで勤務。海外の薬物依存症対策を参考に、覚醒剤依存症治療の独自プログラム「SMARPP(スマープ)」開発を主導するなど研究の第一線で活躍する。平成27年から国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長。

藤木祥平記者
藤木祥平記者

取材記者は…変えるべきは自分の視線

学生時代に米ニューヨーク州に留学していたとき、夜に窓を開けるとしばしば大麻の臭いが漂ってきた。ルームメートが教えてくれるまでそれが大麻の臭いだとは知らなかったわけだが、これが人生初の違法薬物との接点だった。

米国ではこれだけ薬物が身近に存在しているのかと当時衝撃を受けたのだが、ひるがえって「日本が薬物に縁遠い」というのは思い込みに過ぎなかったようだ。松本さんによれば若年層で今、最も深刻なのはドラッグストアで購入できる市販薬の乱用だという。

一方、違法薬物で逮捕された芸能人は、釈放時に警察署の前で国民に謝罪するのが慣例となった。それを取り上げるワイドショーでは白い粉と注射器のイメージショットを繰り返し放映し、芸能界の薬物汚染の深刻さを憂うコメントをそえるのが定型となっている。

だが、そのイメージショットが依存症患者の薬物欲求を高めるトリガーになっていると松本さんは言う。したり顔の報道が薬物依存を再生産しているという指摘は、重い。

米俳優、ロバート・ダウニー・Jr.さんは薬物依存で何度も逮捕され、刑務所にも収監されたが復活、映画ではスーパーヒーローチーム「アベンジャーズ」の一員にもなった。では、わが国で何度も逮捕されているあの元有名人が、ヒーロー役で返り咲く姿を想像できるだろうか。まず変えるべきは、自分の視線なのだと気づかされる。(藤木祥平)

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