大相撲夏場所、異例の寂しい番付 3場所連続で1横綱1大関

大相撲夏場所の番付表。照ノ富士は「横綱大関」と記されている
大相撲夏場所の番付表。照ノ富士は「横綱大関」と記されている

大相撲の番付が異常事態に陥っている。古くから「横綱」「大関」は強さの象徴であり、日本相撲協会の〝看板〟だ。それが1月の初場所で125年ぶりに1横綱1大関という寂しい番付になると、解消されぬまま夏場所(14日初日、両国国技館)で3場所連続となった。角界関係者も危機感を抱いている。(宝田将志)

横綱大関1人は前例なし

昨年、御嶽海と正代が相次いで大関から陥落し、現在、大関は貴景勝ただ1人。江戸時代から小結、関脇、大関は東西で欠くことができないため、夏場所の番付では一人横綱の照ノ富士が大関を兼ねる「横綱大関」と記されている。

大関以上が計2人しかいないことは過去にもあった。しかし、明治30年5月(横綱小錦、大関鳳凰)は2場所後に、平成5年1月(曙、小錦の2大関)は翌場所に別の力士が昇進して大関が増えた。3場所続く現状の異例さが際立つ。

夏場所は関脇霧馬山が大関昇進を狙う一方、大関貴景勝はかど番で迎える。4場所連続休場中の横綱照ノ富士は、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)が出場を明言したものの、両膝に古傷を抱えており、番付が今後どう変動していくかは不透明だ。現存する縦長の1枚番付で最も古いのは宝暦7(1757)年のもの。以来、266年の歴史で大関以上が1人になったことは一度もない。

直近8場所、8人が賜杯

最近は数少ない横綱大関陣が不安定なため、優勝争いは混沌(こんとん)としている。直近8場所は全て優勝者が異なり、うち3場所は平幕力士が賜杯を抱いた。ただ、本命不在でも観客動員は悪くない。3月の春場所は15日間満員御礼だった。

「もちろん、お客さんに入ってもらわないと困る。でも、それだけじゃない。大相撲の伝統や文化、格式が失われてきている気がする」。こう指摘するのは日本相撲協会で広報部長を務める芝田山親方(元横綱大乃国)だ。番付上位者が貫禄を示し、下位の挑戦をはね返すのは大相撲の魅力の一つといえる。

「大相撲を魅力的に」

約600人の力士のトップである横綱や大関は一朝一夕には生まれない。横綱朝青龍の甥である関脇豊昇龍を指導する立浪親方(元小結旭豊)は「スカウトはどこの部屋も苦労している」と明かす。少子化やスポーツの多様化は相撲界も無関係ではない。

「大相撲を魅力的にしていかないといけない」と言うのは二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)だ。茨城県阿見町に相撲部屋を構え、地元と連携を図っていくのは打開策の一環だという。自身の師匠は隆の里、その師匠は初代若乃花と横綱の系譜を継ぐ36歳は「良い素材を持った力士を教育し、稽古していくしかない。試行錯誤しながら育てていきたい」と語っている。

■大関、横綱への昇進 かつては大関が力士の最高位だったが、明治23年に初代西ノ海が初めて番付で横綱の文字を冠し、同42年から横綱が最高の地位であると規約に明文化された。現在、大関には三役(関脇、小結)で続けて好成績を残すと昇進する。直近3場所合計33勝が目安とされる。横綱は大関の中で品格、力量が抜群で、2場所連続優勝か、それに準ずる成績を収めた者が昇進できる。

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