「欽一ごめんね、ごめんね」と泣いた母に「親孝行できた」 萩本欽一さんインタビュー㊦

タレントの萩本欽一さん=昨年11月、東京都世田谷区(鴨志田拓海撮影)
タレントの萩本欽一さん=昨年11月、東京都世田谷区(鴨志田拓海撮影)

昭和50年に放送が開始された「欽ちゃんのドンとやってみよう!」など自身の名前が付けられた番組が軒並み高視聴率となり「視聴率100%男」と呼ばれた萩本欽一さん(81)。1998年長野五輪では、閉会式の司会を務めた。世界的なイベントでの大役は、萩本さんをかつての失敗の呪縛から解き放ち、コメディアンを目指す理由にもなった母への親孝行の機会にもなった。

閉会式でアドリブ

20世紀最後の冬季五輪となった長野五輪。世界的イベントである五輪は、同時通訳がつき、その模様は世界中に中継される。そのため、台本通りの進行が求められる。「僕はテレビでせりふ通りやるっていうので失敗した男。オリンピックのようなところでやったら100%失敗する」

萩本さんの頭に真っ先に浮かんだのは、若い頃のテレビ出演での苦い経験だった。

浅草東洋劇場に入ってから数年後、萩本さんにテレビ出演の話が舞い込むようになった。ある時、与えられたのは生コマーシャルの仕事。台本通りに読まなければならないが、緊張で約20回NGを繰り返した。「もう来るなって言われてね」その番組は降板となり、しばらくテレビの仕事から遠ざかることとなった。

そんなこともあり、当初は断ろうかとも思ったという萩本さんだが、この大役を引き受けた。閉会式本番は、台本通り順調に進行し、いよいよフィナーレが近づいてきた。台本に書かれていた次のせりふは「選手の皆さんありがとうございました」だった。「僕だけがありがとうじゃなくて、テレビを見ている国民の皆さんもありがとうって言いたいんじゃないかな」

そう感じてとっさに「僕だけでなく皆さんも選手たちに『ありがとう』と言おう。せーの」とアドリブで会場へマイクを向けた。次の瞬間、「ありがとう!」の声が会場中に響き渡った。五輪の閉会式にふさわしい感動的な場面となった。

台本通り進行するように厳命されていたにもかかわらず、アドリブを言ってしまった萩本さん。終了後の控室では「怒られるな」と覚悟してしょんぼりしていた。そこに演出家の浅利慶太さんが通りかかり「良かったよ」と一言。その瞬間涙がこぼれた。

「台本通りができずに一度テレビを去った男が、台本通りの仕事をやり遂げられた。ついでに1つアドリブまで飛ばせたし、本当に幸せな仕事だった」

やっと理解してくれた母

萩本欽一さんと母、トミさん(佐藤企画提供)
萩本欽一さんと母、トミさん(佐藤企画提供)

うれしいことはそれだけではなかった。閉会式の後、自宅に一本の電話がかかってきた。母、トミさんと同居していた兄からだった。「欽一、お前いい仕事したな。かあさん喜んで泣いてたよ『欽一ごめんね、ごめんね』って」。この言葉は萩本さんにとって特別な意味があった。

いくつものレギュラー番組を抱え、連日テレビでお茶の間を沸かせていた頃。外国でロケをした番組を観たトミさんから電話があった。トミさんは開口一番「外国まで行って笑われるんじゃない!」とまくし立てたという。

トミさんはコメディアンの仕事をよく理解していなかった。「笑われる仕事っていうんで恥ずかしい仕事って思ってたみたい」

コントで着物を着て母親役を演じると「襟元の汚い女を演ずるな! ふしだらだ」と電話があり、相手役の女優が違うドラマに立て続けに出演すると「3カ月で女の人を替えるとは何事だ! 不愉快だ」と電話があった。

今でこそ笑い話だが、仕事を理解してもらえないことは「ショックだった。やっぱりどっかで気付いてほしいと思っていた」と振り返る。

そんなトミさんが、初めて萩本さんの仕事を認めてくれたのが長野五輪だった。後に出てきたトミさんの日記には「ごめんね欽一、何にも悪いことしてなかったんだね。何か悪いことをしたら、天皇陛下のそばにいるはずないものね」と書かれていた。

「親孝行ができたたった一つの仕事だった」と萩本さんはしみじみと語った。

ユーチューブに挑戦

長野五輪から25年が経ち、萩本さんは81歳になった。だが、まだまだお笑いへの探求心は尽きることがない。令和3年7月には、ユーチューブチャンネル「欽ちゃん80歳の挑戦!」を開設。現在も週に2回の生配信を続けている。

生配信では、「ブロッコリーの言い間違え方は」などといった「お題」を設け、視聴者からの投稿を募っている。寄せられた投稿を読み上げるスタイルは、かつて人気を博したバラエティー番組「欽ちゃんのドンとやってみよう!」の場面を彷彿とさせるが、「あの頃とは違う」。これまで形にできなかった新たなお笑いを追求中、という。

「今まではコントとして笑いを作ってきた。でも、本当にやりたくて、テレビではできなかったのが軽演劇です。普通のせりふがおかしいっていう」

萩本さんが例に挙げたのは、けんかをしたときの次のようなやり取りだ。

「『あんたなんか嫌い』。こういう直接的な言葉も、ちょっと工夫すると随分、違ってくる。一言入れて、『あんたなんか〝今〟嫌い』。こうすると何かグサッと刺さらないでしょ?」

インターネット上は交流の広がりがある一方で、さまざまな意見が可視化され、ときに殺伐とした言葉が飛び交うこともある。

そんな場に萩本さんがもたらすユーモアと笑いには、見る人の気持ちを優しく穏やかにする力があると思える。

「最後はやっぱりきれいな、気持ちのいい笑いをね。この年齢じゃないとね、なかなか手を出せないとこなんですよ」と萩本さん。まだまだ尽きることのない情熱でこれからも人々に笑いを届け続ける。(長橋和之)

コメディアン目指すきっかけは先生の一言 萩本欽一さんインタビュー㊤

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