ザ・インタビュー

占い利用し、なりたい自分に 脚本家・中園ミホさん『相性で運命が変わる 福寿縁うらない』

「ドラマの打ち上げでは、周りにみんなが集まってきて『占いの館』みたいになってしまいます」と笑う中園ミホさん(宮崎瑞穂撮影)
「ドラマの打ち上げでは、周りにみんなが集まってきて『占いの館』みたいになってしまいます」と笑う中園ミホさん(宮崎瑞穂撮影)

「ドクターX~外科医・大門未知子~」をはじめ数々のヒット作を手がけてきた脚本家の中園ミホさん(62)が、新著『相性で運命が変わる 福寿縁うらない』を出した。実は元占い師だった中園さん。占いの結果に踊らされず、上手に活用することを勧めている。方法だけでなく自身の体験まで紹介した本書は単なる占い本ではなく、一種の自伝的要素も併せ持っている。

「占いを利用して、なりたい自分になっていけばいいんだし、そんなふうに活用してほしいということを伝えたいと思っています」

本書を出した目的の一つをこう語る。例えば、ある占いで「50歳で結婚します」と言われても、50歳になるまでの出会いをすべて無駄にすべきではないという。「相性がぴったりはまる人ではなくても、その人のいい運気の影響を受け続ければ、本人が強運になっていったりする。運は育っていくものなんです」と強調する。

かくいう自身も、使い方を実感したのは、占い師から脚本家に転身しようとするときだった。占いの仕事をしながらも、母を失ってつらかった大学時代を支えてくれた映画やドラマの脚本を書く仕事へのあこがれをひきずっていた。

「あなた、占い的にもっと正しい人生があるんじゃないの」。師事していた先生からそう言われ、自身を占うようアドバイスを受けた。翌年から苦しい時期である「空亡期」に入ろうとしていた。「そこで『エイッ』と頑張って、書いたものがデビュー作です。『占いってこう使えばいいんだ』と身をもって体験しました」

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28歳で脚本家としてデビューはしたものの、覚悟は定まっていなかった。「いくら書いてもうまくならないし、当時の現場には怖いおじさんたちもいたので、これを書いたらやめてやろうと毎回思っていました」と当時を振り返る。

本気になったのは、34歳で未婚の母となったとき。分娩(ぶんべん)台で初めて息子と目が合った際、「あなたが生まれてきたら楽しいよといったから、生まれてきたけど本当に楽しいの?」という声が聞こえた気がした。「まず自分を幸せにしないと子供も幸せにできないだろうし、『仕事から逃げてる場合じゃないぞ』『この子を餓死させられない』と顔を見たときにいろんな覚悟ができました」

それまでは連続ドラマの仕事が来ても、「体力的に大変だから」と断ってきたが、引き受けるように。親戚をはじめいろんな人に「しっかり生きなさい」「嫌なことから逃げてはいけない」と言われても変わらなかったという自称「なまけもの」は新たな命を得て、「やっと人生のギアが入った」という。

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それからの躍進は目覚ましい。「やまとなでしこ」「ハケンの品格」、NHK連続テレビ小説「花子とアン」、NHK大河ドラマ「西郷どん」など次々にヒット作を飛ばした。

大活躍の裏には努力とともに占いの存在もあった。それまでは避けていた苦手なタイプの人と仕事をすることになったとしても、相性をみて意味を見いだし、「この仕事は緊張感をもって進むことになるけれど、これをやり遂げれば必ずいい結果が出るなと気持ちを切り替えられるようになりました」と語る。

脚本を書くにあたって徹底した取材を行うため、そのたびに新たに書きたい題材が生まれてくるという。今後の抱負を尋ねると、笑顔でこう語った。「常に3本、これは書かなきゃと思うものがあります。早く隠居したいなと思いながら、それだけは書かずに死ねるかというのがずっとあって、ずっと書いているのかなと思います」

3つのQ

Q最近読んで面白かった本は?

浅田美代子さんの『ひとりじめ』です。神格化されていた樹木希林さんを身近な人に感じ、ハッピーな気持ちになりました

Q一番うれしかった占い結果は?

『花子とアン』に出演した鈴木亮平さんが占いの結果通りに、活躍されていることがとてもうれしいです

Q占いで最も驚いたのは?

良くない運気の人たちが集まったドラマの大ヒット。何とか乗り越えようとしたことが底知れないパワーを生んだと思います

なかぞの・みほ 昭和34年、東京都生まれ。日大芸術学部卒業。広告代理店や占い師を経て、脚本家としてデビュー。平成19年に「ハケンの品格」で放送文化基金賞脚本賞、25年には「はつ恋」と「ドクターX~外科医・大門未知子~」で向田邦子賞と橋田賞をダブル受賞する。10月からは「ドクターX」の最新シリーズが放送中。

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