東京・人形町の人形焼 100年続く老舗2店の味

板倉屋の人形焼は、こだわりの生地がふくよかな七福神の表情を生む(寺河内美奈撮影)
板倉屋の人形焼は、こだわりの生地がふくよかな七福神の表情を生む(寺河内美奈撮影)

下町情緒あふれる東京・人形町。この地が発祥ともいわれる人形焼は東京土産の定番だ。七福神の顔をかたどった生地にあんこが詰まった素朴さで、長らく人々に愛されてきた。ところが人形町で営む人形焼の老舗は今や2店のみになった。それぞれが持ち味を生かし、歴史と味を守り続けている。(永井大輔)

東京23区のほぼ真ん中、中央区にある人形町。江戸時代には庶民向けの人形芝居が盛んで、人形師らが住んだことが地名の由来とされる。人形焼の商いが、この地で本格化したのは明治末期~大正の頃。大正6年創業の「重盛永信堂」の4代目、重盛行男さん(71)によると、人形町が発祥というのは諸説の一つで、「浅草の方が古いとの話もある」そうだ。

安産の御利益で知られる水天宮(同区日本橋蛎殻町)の向かいに構える重盛永信堂は、多い日には人形焼が1万個売れる。皮は薄く、あんこが多め。現代人の味覚に合わせ、甘さを1割ほど控えめにしたものの、創業時から材料と作り方は変わらず添加物や保存料は使わない。七福神をかたどっているが、モチーフは、福禄寿以外の6種類。「『7人目の神様』は買ってくださったお客さま」(重盛さん)との思いが込められているという。

もう一つの老舗は、明治40年創業の「板倉屋」。厚めに焼かれた皮とあんことのバランスの良い味わいが特徴だ。4代目の藤井嘉人さん(35)は「生地とあんこの比率は4対6を意識し、2つのハーモニーを楽しめるよう焼いている」と語る。

板倉屋では藤井さんと、父で3代目の義巳(よしみ)さん(68)が主に店を切り盛りする。製法は昔ながらの手作業だ。生地のメレンゲ作りでは約30分、ホイッパーを回し続けるが、機械では出せない食感を求めて手作業にこだわる。添加物や保存料を使わないため、翌日には生地が硬くなってしまう。義巳さんは「冷凍で保存するとシャリシャリとした食感に。日持ちもするし、暑い夏には特にぴったり」と教えてくれた。

重盛永信堂では、薄めの皮にたっぷりとあんこを包んで焼く=2日、東京都中央区(寺河内美奈撮影)
重盛永信堂では、薄めの皮にたっぷりとあんこを包んで焼く=2日、東京都中央区(寺河内美奈撮影)

薄めか、厚めか、皮の特徴が対照的な老舗2店の人形焼。両店の食べ比べだけでなく、焼きたてと凍らせたものの味わいを試すのも楽しそうだ。

人形町の人形焼は長らく、老舗3店が名物として育ててきた。しかし平成30年、そのうちの「人形町亀井堂」が閉店。重盛永信堂と板倉屋も、新型コロナウイルス流行による観光客需要の低下を受け、売り上げは大幅に減ったという。さらに今後、後継者問題も課題となる可能性がある。

「祖父から始まり、今は息子。人形焼は一つの文化として守っていくべきだし、ずっと続けたい」。板倉屋の3代目、義巳さんはそう話す。4代目の藤井さんは「一子相伝で続ける必要はない。つないでいくことが大切だ」と言い切る。義巳さんも「『家族経営』から『地域経営』という考え方に変えれば、もっと長く続けられる。店に愛着があれば誰が継いだっていい。地域ぐるみで続けていきたい」と力を込める。

新型コロナ禍の苦境にも、「こういう状況でも使ってくれるお客さんはいるのでありがたい」と重盛さん、藤井さんは口をそろえる。

100年以上続く人形町の人形焼。味と文化を守るため、老舗の変化や挑戦がこれから始まる予感がした。

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