話の肖像画

ジャパネットたかた創業者・高田明(1)「今を生きる」を積み重ね

髙田明さん
髙田明さん

《創業した「ジャパネットたかた」の社長を平成27年に退任、その年に個人事務所「A and Live」を設立した。目的は「生き生きとした世の中にする」で、現在は取材や講演などでメッセージを発信し社会に貢献する日々を送っている》


僕の誕生日は明治節にあたる11月3日で、それで名前が明。その明の「A」と、「Live」は、みなさんにどんな世の中でも生き生きとした人生を送ってもらえるようにということで次女が提案をしてくれ、この社名になりました。よく冗談で、「『明はまだ生きてるぞ』の意味です」とも言っていますが。


《長崎・平戸の実家「カメラのたかた」を手伝って観光写真の撮影・販売から始まり、独立後は「ジャパネット」として通販の世界に。29年からは経営難だったサッカーJリーグ「V・ファーレン長崎」の社長を引き受け、初のJ1昇格を成し遂げた。「功成り名遂げて身退くは天の道なり」を体現するように、ジャパネットは減益から最高益を達成するまでの社員の成長を確認し、V・ファーレンではJ1昇格を経験した後、それぞれ長男、長女に事業を託して退任。会長に就くことなく経営からきっぱりと身を引いた》


会社の経営は年齢ではないと思います。70歳を超えたら会社の指揮を執るのはダメ、ということはなく、80歳を超えても経営にかかわっておられる人もいます。僕の場合、後継者にバトンタッチするタイミングだと思ったから退任した。周りもそれを認めてくれたし、いい時期に引き継げたと思います。1カ月ずれるだけでも大変なことになる場合もありますので。

ジャパネットでは25年、「覚悟の年」として減収減益から過去最高利益を達成するために、社員が一丸となって取り組んで結果を残した姿を目の当たりにし、成長できる力があることを確信できたことと、IT化が進むこれからの時代、デジタルに強く、先を見通せる経営者が適していると考え、社長を退くことを決めました。長男からは「会長として残って」と言われましたが、そのまま残って会社の最終判断が僕のところにくるようになったら、何のための後継だったのか、となりますよね。会社に席もありませんし、会議も出たことはない。今はどんなに大きな事業でもまったくタッチしていません。


《「今を生きる」ことを積み重ねてきた》


学生時代からあまり先のことを考えず、大学受験でも就職先でも「ここでなければダメ」というのはなかったんです。仕事でも目の前でやらなければいけない課題をキャッチアップして、毎日の最善を尽くす。これが明日の自分の成長につながり、企業の成長にもつながると思ってやってきました。ジャパネット(の成長)を「すごいですね」と言われることもあるのですが、よくわからないんです。そのときそのときを精いっぱい、生きてきただけですので。(聞き手 大野正利)

高田明

たかた・あきら 昭和23年、長崎県平戸市生まれ。大阪経済大学を卒業後、「阪村機械製作所」で会社員生活を送る。その後、実家の「カメラのたかた」に勤務、61年に独立して「たかた」を設立、平成11年に社名を「ジャパネットたかた」に変更した。司会を務めた通販番組では独特の語り口で人気を博し、27年に社長を退任。29年からサッカーJ2クラブ「V・ファーレン長崎」の社長となり、クラブ初のJ1昇格を支えた。

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