評伝

苦言と愛嬌と深かった懐 渡部恒三・元衆院副議長 

渡部恒三元衆院副議長
渡部恒三元衆院副議長

 23日死去した渡部恒三元衆院副議長は、「平成の水戸黄門」「平成のご意見番」と呼ばれた。自ら名乗ることはしなかったが、こう紹介されるとうれしそうに愛嬌(あいきょう)いっぱいの笑顔を浮かべた。昨夏には熱中症で病院に運ばれたというが、友人知人を呼んでは旧交を温めたという。

 衆院副議長を退任した後は、本紙で毎月1回、コラムを連載した。「国益が第一」のタイトル通り与野党の別なく褒め、苦言を呈したが、かどが立つことはなかった。例外は当選同期の盟友、小沢一郎衆院議員が民主党代表だった当時、資金管理団体の土地購入事件で政治資金規正法に問われた際に「一時身を退いては」と代表辞任を勧め、小沢氏との交遊が途切れたことくらいではないか。

 会津弁のアクセントは強く、問い返すわけにも行かず耳慣れるまで苦労したのを思い出す。

 口癖は「きみら若い者(もん)は知らないだろうから言っておくけどね」。興がのると、田中角栄、竹下登両元首相から直伝を受けた人心掌握術や自身の武勇伝、失敗談を次々と語ってくれた。

 突然声を潜めて「他には言っちゃあなんねえよ」と政局の裏話を教えてくれたが、その30分後にテレビカメラの前で同じ話を始めることもしばしばあった。自身の人事が絡むと「なあんも言えねえ」と極端に寡黙になり、口の重さの度合いで人事情報の精度が計れるともいわれた。

 燗(かん)した日本酒を好み、古い衆院九段議員宿舎では、お銚子(ちょうし)を干すたびに別室の秘書を呼んでは温めさせた。酔うほどにピッチがあがるのが常で、このペースではとても付き合えないと、ある晩、少しお茶の残った大きな湯飲みにお銚子の中身をこっそり移していたことがある。

 追加の燗を命じてあぐらをかき直すと、止めるまもなく湯飲みをぐいとあおって、「今晩はお茶も酒の味がするなあ。これくらいにするかあ」。

 何もいわず笑顔で見送ってくれた。清濁(せいだく)併せのむ懐の深い昔かたぎの政治家だった。

(佐々木美恵)

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