野口五郎デビュー50年目 音楽オタク本領発揮の記念作

デビュー50周年の歌手、野口五郎=東京都渋谷区
デビュー50周年の歌手、野口五郎=東京都渋谷区

歌手の野口五郎(64が「博多みれん」でデビューしてから50年目になるのを記念した新作アルバム「Goro Noguchi Debut 50th Anniversary ~since 1971~」を出した。「私鉄沿線」など代表的な13曲を録り直したが、ほとんどの楽器を自分で演奏して驚かせる。だが、これこそ五郎の本領発揮なのだ。(石井健、写真も)

五郎は「博多みれん」で昭和46年5月に演歌歌手としてデビューしたが売れなかった。8月に出した2曲目「青いリンゴ」でアイドルに路線変更したのがよかった。後にデビューする西城秀樹、郷ひろみとともに「新御三家」と呼ばれる人気者になるのだ。

だが、「スター歌手の末っ子で、アイドル歌手の長男だった」と複雑な立場だったことを明かす。

「僕は、いわゆる作曲家の先生の門下生として15歳でデビューし、振りなど付けようものなら『手で説明しないと歌の心を伝えられないのか』と腕をたたいて叱られた。でも、その翌年から若い歌手はスカウトされて出てくるようになり、彼らには振付師がついていた」

「楽屋でも、移動の車中でもずっとヘッドホンで音楽を聴いていた」という音楽オタク。楽器演奏を得意とし、録音技術にも精通した。作曲もしたが、スタッフはアイドルには無用と断じた。自身と世間のイメージとの乖離(かいり)に次第に悩んだ。

楽しみは海外録音。敬愛する海外の演奏家を迎えてアルバムを制作した。昭和55年のデビュー10周年公演では、デビッド・サンボーン(アルトサックス)、デビッド・スピノザ(ギター)ら音楽仲間が、五郎のバックを務めるため海を越えて駆けつけた。

それでも悩んでいるとき、励ましてくれたのが秀樹だった。肩をつかみ「五郎」と声をかけて黙ってうなずいてくれた。こんなことがあった。仕事の打ち合わせでもめた。席を蹴ろうとしたら、秀樹が「五郎が帰るなら僕も帰ります」と立ち上がった。

秀樹は後輩だが、平成30年に亡くなった。

「僕のことを理解し、そのままでいいのだと守ってくれた。秀樹は恩人」

50年目を記念した新作アルバムでは、音楽オタクぶりを遺憾なく発揮した。「青いリンゴ」「甘い生活」など13の代表曲について歌だけではなくギター、ベース、ドラムの演奏まで一人でやってのけた。

5月に配信したシングル「光の道」も同様だが、こちらでは17歳の長女がピアノを演奏。「演奏家デビュー。これがうまいんですよ」と相好を崩す。

一方、新型コロナウイルスがエンターテインメント産業に与える影響については、「衣食住娯楽。エンタメの復興は最後だろう」と厳しい表情を見せる。

五郎は、自ら発案し特許を取得した2次元コードと専用アプリケーションを組み合わせた独自の映像配信サービスを「テイクアウトライブ」と名づけ、平成24年から自身の公演映像などを配信している。コードを印刷したカードを通販サイトで販売するなどビジネスにつなげている。

「耐えるだけじゃどうにもならない。前に進まないと」。50年目だが、歩みを止めない。

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