話の肖像画

弁護士・北村晴男(6)「医療過誤」カルテから決定打

駆け出しの頃、ベテラン弁護士と同じグラウンドで戦った
駆け出しの頃、ベテラン弁護士と同じグラウンドで戦った

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《2年間の司法修習を経て、平成元年に東京弁護士会(東弁)に弁護士登録。元高校球児は弁護士になってからも野球を愛し続けた》

司法修習で裁判所での判決起案や検察での取り調べも経験しましたが、弁護士になるしか生きる道はないと思っていましたので、迷わず弁護士を選びました。「イソ弁」(居候弁護士)として山本栄則(えいそく)法律事務所に所属。山本先生はシベリア抑留を経験され、日本弁護士連合会の副会長や東京弁護士会の会長も務めた方です。山本先生が読売巨人軍の顧問弁護士だと聞いて、すぐに「この事務所しかない」と決めました。東京には東弁のほかに、第一、第二東京弁護士会があります。この「東京三会」の野球部があり、週末を中心に東大野球部などで六大学野球を経験した人も含めた弁護士15人ほどが活動していました。もちろん、その野球部に入りたい。兄弁(先輩弁護士)に「週末は野球をやります」と言うと、即座に「やれるものならやってみな」と言われました。これは明らかに「そんな時間や心の余裕はないよ」という意味です。確かに多くの案件を抱え、忙しい事務所でした。ならばと、私は時間を少しでも作るために国選弁護人の登録をしませんでした。野球をするために。弁護士の世界は駆け出しもベテランも同じグラウンドで戦います。そういう意味で公平な世界。どうやったら勝てるか。とにかく結果を出すことにこだわりました。

《3年後に独立し、北村法律事務所を設立。相続や破産、生命保険、交通事故から医療過誤まで幅広く手がけた》

独立したばかりの弁護士にクライアント(顧客)はいません。最初は仕事もなく不安で、生まれて初めて不眠症にもなりました。ですが、気持ちを切り替え、報酬に関係なくどんな仕事でも懸命に取り組みました。中でも印象に残っているのが、独立して間もない頃に手がけた医療過誤訴訟です。せきが止まらなくなった30代前半のサラリーマンの男性が病院で診察を受けると、ぜんそくの薬を処方されます。しかし、せきはひどくなる一方。再び別の病院で診察を受けましたが、またぜんそくという診断。この男性は通勤途中で倒れ、気道がふさがれた状態となって心肺停止に陥りました。後に蘇生(そせい)したものの脳に重篤な障害が残り、意識は回復しないまま。その段階で幼子2人を抱えた奥様から相談を受けました。

病院では「気道が閉塞(へいそく)した理由は、分岐部に良性の腫瘍(しゅよう)があって、たんがからんだから」との説明を受けたというのです。私は「証拠保全」という証拠を改竄(かいざん)されないように確保する手続きを取り、男性のカルテなどの記録を全部取り寄せました。どの段階で男性の腫瘍を見つけることが可能だったかが争点になると思い、懸命に検討。医学の知識はないので、友人の放射線科の医師から助言を求めたり、関連の医学書を読みあさる日々。訴訟を提起し、いよいよ裁判所で証人尋問が行われることになりました。ぜんそくの確定診断がどのようになされたのか。尋問前に改めてカルテを精査して検討したところ、医師が本来の手順通りに診察していなかったことが分かったのです。法廷でその点をぶつけると、医師は「自分のミスでした」と認めました。その結果、2つの病院との間で、こちらにとっての勝訴的和解となりました。結果にこだわって、強い気持ちで臨んだからだと思っています。15年後、立派に成長したお子さんが私の出演する「行列のできる法律相談所」の収録を見にきてくれました。(聞き手 大竹直樹)

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