彰往考来 新時代のヒストリア

人類の未来とAIの歴史 松原仁・はこだて未来大学教授(2)

【彰往考来 新時代のヒストリア】人類の未来とAIの歴史 松原仁・はこだて未来大学教授(2)
【彰往考来 新時代のヒストリア】人類の未来とAIの歴史 松原仁・はこだて未来大学教授(2)
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 ぼくは米国発の「第1次AIブーム」のど真ん中にあたる1959(昭和34)年の生まれです。手塚治虫さん原作の「鉄腕アトム」については、63年にそのテレビ放映を初めて観て以来のファンであることを自任しています。

夢の「アトム」と天馬博士への憧れ

 当時、横山光輝さん原作の「鉄人28号」もテレビ放映されていました。「君は『アトム』かもしれないけれど、ぼくは『鉄人』のほうが好きだった」と言う同年代の友人もいますね(笑)。

 鉄人28号はリモコン操縦型です。対してアトムは自分で考え、自律的に行動します。これは人間そのものであるし、「汎用(はんよう)人工知能(AI)」そのものだともいえます。もちろん当時はそんな言葉は知るよしもなかったのですが、このことはぼくがアトムを好きになった最たる理由でした。

 アトムの「生みの親」は天馬博士です。彼は交通事故死したわが子に似せてアトムを創造したのだけれども、「人間と違って背が高くならない」と落胆するあまり、アトムをサーカスに売り飛ばしてしまいます。もちろん「育ての親」のお茶の水博士は大好きでしたが、子供心にも「アトムを捨てるのは悪いことだけど、つくったのはすごいな」と思い、天馬博士に憧れました。

 「大人になったら天馬博士みたいになって鉄腕アトムをつくりたい」

 いまは亡き両親によると、ある程度大きくなってからもぼくは始終そんなことを言いながら、アトムの絵ばかりを描いていたそうです。その志はいまも変わりません。研究者としての目標は「アトムをつくること」です。

 〈AI研究の「第1次冬の時代」は1960年代後半から十数年にわたった。この間、青少年時代を過ごした松原さんは小学校の卒業文集「ぼくの夢」に「エンジニアになること」と記した。「理系だった父に『アトムをつくるならエンジニアだ』と言われたのでよく意味もわからずにそう書いたのですが、ぼくの小・中学校時代はプロ野球・巨人の9連覇(65~73年)と重なります。男子のあこがれは『プロ野球選手』だった時代です。友達からはさぞ変わり者だと思われていたことでしょうね」と笑う。

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