父の教え

国際政治学者・三浦瑠麗さん 学者としての視座与えてくれた

【父の教え】国際政治学者・三浦瑠麗さん 学者としての視座与えてくれた
【父の教え】国際政治学者・三浦瑠麗さん 学者としての視座与えてくれた
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気鋭の国際政治学者として活躍する三浦瑠麗(るり)さん(38)。柔らかな語り口の一方、時事問題を鋭く分析し、批判をおそれぬ発言で注目されている論客の1人だ。父親の濱村良久さん(64)は防衛大学校の教授。「学者としての視座を与えてくれた」という。

「父は研究者になりたくてなったタイプ。子供に対してもやりたいことをやれ、という教育をしてきました。社会に役立てとか、成功しろ、とか言われたことがないんです」

良久さんは、北九州市生まれ。学生結婚し、5人の子供に恵まれた。大学院博士課程のときに生まれたのが三浦さんだ。

教育方針は独特だった。自宅にテレビはあったが、子供たちが見ることは禁止されていた。

良久さんは東大助手を経て、防大の教員に。子だくさんの暮らしで節約を心がけていたが、本は潤沢に与えられた。「家では百科事典をよく読んで過ごしていました。学生結婚だったから、お金がないなかでも豊かに育てたい、という情操教育だったんじゃないでしょうか」と推測する。

伊豆や箱根など家族旅行にもよく出かけた。心理学や動物行動学、科学の話をよくしてくれたが、研究者らしい一面も。

「小学校低学年の私に、放射線治療についてのクイズを出したことがありました。どうやったらがん細胞を殺せるのかって。分からないって素直に答えると、詳しく説明してくれました」

通信添削の問題を教えてもらおうと聞きに行くと、良久さんはテキストごと持って書斎に籠もり、解けるまで出てこなかった。

議論好きで、子供相手でも引かなかった良久さん。思春期になると、反発心も芽生えた。「議論をふっかけてくるのがうざったくて」。突然不機嫌になるポイントも理解できなかった。三浦さんは「父がどう思っているのか、常に考えていました。父は、私にとってすごく他者でした」と表現する。

三浦さんは東大在学中に結婚。大学院に進み、国際政治を学んだ。著書の「シビリアンの戦争」では、軍人が戦争に消極的で、シビリアン(文民)側が戦争に積極的という逆説を論じたが、研究者として独特の視点を持つきっかけは、良久さんだったという。

心理学の教員だった良久さんは、防大の教え子の相談に乗っていた。家庭で学生たちの話題が出ることもあった。

「自衛隊について早いうちから、偏見なく知ることができた。概念としてではなく、等身大の存在と捉えられた。国際政治のなかで、人が見ないところを見ていたんです。研究者としての視座につながったんでしょうね」

結婚を機に反発心は薄れ、「今では大人な父娘関係」だ。テレビ番組での三浦さんのコメントに対し、良久さんは「その通り」と共感したポイントをメールで送ってくれる。議論好きは変わらないが、「私の返事は『ありがとう!』で終わり。ほどよきところで逃げ出さないと」。

今の距離感がちょうどいいが、「孫もかわいがってくれるし、父も好々爺になりました。もうちょっと実家に帰ってあげようかな」と笑顔があふれた。(油原聡子)

≪メッセージ≫ 定年を迎えたら、子供を養う義務から離れ、やりたいことをやって、遊ぶだけ遊んで、学ぶだけ学んでください

濱村良久

はまむら・よしひさ 昭和30年、福岡県生まれ。東大在学中に結婚、5人の子供に恵まれる。同大大学院人文科学研究科を修了後、東大助手を経て、防衛大学校人間文化学科教授。専門分野は心理学。

三浦瑠麗

みうら・るり 昭和55年、神奈川県生まれ。東大大学院法学政治学研究科修了。博士(法学)。山猫総合研究所代表。著書に「シビリアンの戦争-デモクラシーが攻撃的になるとき」(岩波書店)「孤独の意味も、女であることの味わいも」(新潮社)など。

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