エッセイストでコメンテーターの安藤和津さん(70)は、平成18年に母の荻野昌子(まさこ)さんを83歳で亡くした。「全てを注ぎ込んだ」という介護生活は12年に及び、「最高の見送り方ができた」と振り返る。ただ、心残りもあるという。
--どんなお母さん?
家族の束ね役でした。同じマンションの別フロアに住んでいたので、子育ても二人三脚。奥田さんが時代劇の着物の着方を教わることもあり、わが家の知恵袋でした。朝でもちゃんと口紅を引いて私たちを迎えてくれる。尊敬していたし、この母は超えられないだろうと思っていました。
--介護生活は助走期間も含め12年に及びました
母の言動がおかしくなっても、なかなか原因が分からなかった。母が医師から脳腫瘍と告げられ、同居しての在宅介護が始まりました。母に幸せな時間を送ってもらおうと、介護食を作り、おむつ交換をし、すべてを注ぎ込みました。
--18年4月に旅立たれました
母は何度も奇跡的な回復をしたので、看取(みと)りを意識したことはありません。
亡くなった日は、家族全員が家にいました。血中酸素濃度は20%まで低下(健常者は90%台後半)し、意識のない母を呼び戻そうとみんなで母の好物の話をしたんです。「あげたての天ぷらを塩とレモンで食べましょう」「大根おろしを入れた天つゆで、キスの天ぷらを食べましょう」と。
そうしたら血中酸素濃度も80%まで戻ったんです。体調が安定し、私が買い物に出かけたら、娘のサクラから「息をしていない」と電話がかかってきました。
母は、思い出の食べ物をパッキングして持っていったんでしょうね。最高の見送り方ができたと思っていますが、母にとって最高だったのかは分かりません。
--介護中もその後も、鬱に苦しみました。回復のきっかけは?
介護を終えても、楽しいことも「楽しい」と思えない日々が続きました。鬱を抜けたのは29年の暮れ。テレビのお笑い番組で噴き出したんです。初めて、鬱だったと自覚しました。