話の肖像画

落語家・春風亭一之輔(3)仲良しで情にあつい一門

前座のころ(本人提供)
前座のころ(本人提供)

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〈大学を卒業して、春風亭一朝(いっちょう)に入門したのは平成13年。師匠が出演中の寄席で出マチを続け、7日目にやっと声を掛けることができた〉

当時、好きな人(落語家)なら、いっぱいいたんです。古今亭志ん朝師匠(13年、63歳で死去)には追っかけみたいになって(出演中の)寄席には毎回、必ず通っていましたから。

ウチの師匠もよく寄席に出てましたし、ラジオの寄席番組も聞いていました。すごく気持ちのいい江戸弁でね。師事するならこの人だって。優しそうだというのもありました。新宿末広亭の楽屋口のそばでずっと待ってたんですけど、なかなか声が掛けられない。このときの様子は師匠がネタにしてますけど、7日目に覚悟を決めて近づいていったときは「コイツに刺されるのかと思った」って(苦笑)。

でも、意外とすんなり話を聞いてくださって、親を連れてって会ってもらい、2カ月で入門OKとなりました。ずっと「芸」は好きだったけど、入門後は師匠の「人柄」も好きになりましたね。僕が(21人抜きで)真打ちになったときも、妬みや悪口を一度も聞いたことがない。これも、師匠の人柄があってこそ。敵がいないし、芸人が認めている噺(はなし)家(か)なんです。だから、「一朝さんの弟子なら足を引っ張らなくてもいい」って。ホント、師匠のとこへ入ってよかったな、と思いますよ。

〈師匠の師匠(大師匠)は、五代目の春風亭柳朝(りゅうちょう)(3年、61歳で死去)。志ん朝、立川談志、三遊亭円楽(先代)と「四天王」と呼ばれた(※橘家円蔵を入れる場合もある)人気落語家。江戸前のきっぷの良さが持ち味だった〉

大師匠のころから一門のカラーは自由で、新しい時代の先駆け。師匠の家の掃除やおつかいをする時間があれば自分の芸の勉強のために使えって。ヨソの師匠のとこへ稽古に行ったり、芝居や映画を見ろってね。今はみんな忙しくてなかなか一堂にそろうってことはないけど、仲が良くて情にあつい。入門順も大事なんですよ。大師匠の筆頭弟子がウチの一朝師匠。その一番弟子は、六代目の柳朝兄さん。やはり人柄が丸くて、おおらか、周りから慕われる。(二番弟子の)僕が一番上だったらダメだったでしょうね。兄弟子は選べません(苦笑)。

〈先代柳朝の2番目の弟子にあたるのが、春風亭小朝(こあさ)(62)だ。昭和55年、36人抜きで真打ちに抜擢(ばってき)され、社会現象にも。「横丁の若様」をキャッチフレーズにアイドル並みの人気を誇った〉

(小朝師匠は)お忙しいので、あまり会う機会がないんです。でも、ゆっくりお話をうかがいたいと思いますよ。一度、僕が酔っ払って、「僕はどうしたらいいんでしょうか?」って聞いたときは、小朝師匠が「落語をやればいいんですよ。楽しいんでしょ」って(苦笑)。ウチの師匠は小朝師匠に抜かれた兄弟子の立場で、そりゃあ葛藤もあったろうけど「悔しかった」とか一度も聞いたことがないです。

〈二つ目になったころは仕事もなかったが、勉強会などで次第に頭角を現し、11年目で真打ちに〉

二つ目になって始めた勉強会で毎月2つのネタおろしを自分で義務付けた。すると1年で24のネタが増えるでしょ。手応えを感じたのは二つ目になって3、4年目かな。「自分が楽しいやり方」でやる。そう決めたら、いろんな落語会に呼んでもらえるようになりました。

(聞き手 喜多由浩)

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