俳優、被災地をゆく(中)

渥美清さんに救われた 「誰かに寄り添う」こと教わる

【俳優、被災地をゆく(中)】渥美清さんに救われた 「誰かに寄り添う」こと教わる
【俳優、被災地をゆく(中)】渥美清さんに救われた 「誰かに寄り添う」こと教わる
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 平成7年1月17日に起きた阪神大震災で被災し、その後、被災地支援を続ける俳優の堀内正美さん(66)。父親は映画監督の堀内甲(まさる)氏。芸能界に飛び込んだものの、演技に悩み、落ち込んだときに声をかけてくれたのが、「男はつらいよ」シリーズでおなじみの渥美清さん(故人)。渥美さんとの不思議な縁はその後、阪神大震災まで続く。(聞き手 小泉一敏)

父親の作品のストーリーづくりも

 --どんな子供時代だったんですか

 堀内 東京都世田谷区生まれ、東京育ちで、父親は堀内甲という映画監督です。東宝の砧(きぬた)撮影所の近くで育ちました。

 --お父さんとの思い出は

 堀内 父は映画に命を懸けているような人で、シナリオを書くということになると、旅館に1カ月、2カ月とこもってしまう。洗濯物だけを持って帰ってくるような生活でした。友達は父親から教わる将棋や釣りができたんですが、僕はそうした遊びができなかった。覚えているのは数回キャッチボールをしたことぐらいですかね。

 --お父さんの影響で芸能界に入った

 堀内 字が読めるようになったころからすぐにシナリオを読まされていた。父が親子向けの映画を撮っていたころで、「読んでみろ」と言われて。シナリオを読んで、「こんな言葉使わないよ」というようなやりとりをしてきた。

 --映画が生活の中心にあった

 堀内 実は父が制作した児童映画のストーリーづくりに参加したことがあるんです。ある家が強盗に入られる内容なんですが、ストーリーは友人と絵を描いているときに思いついたんです。緻密な絵を描く友人に対し、僕の絵はおおざっぱ。でも対照的な2つの絵を合わせると、1つの絵になり、事件を解決できるといったものでした。

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