話の肖像画

作家・村松友視(4)急かされて書いた「時代屋の女房」

直木賞授賞式であいさつする =昭和57年(文芸春秋提供)
直木賞授賞式であいさつする =昭和57年(文芸春秋提供)

〈文学賞の新人賞に応募するも、落選が続いた〉

「私、プロレスの味方です」(昭和55年)を書いたとき、今すぐ物書きになろうという考えはまだなかったけれど、これから中央公論社に居づらくなるとは思いました。「会社の人が読むはずはない」と考えて本名で本を出版しましたが、会社の営業担当者は本がどんどんベストセラーになっていく状況を取次店で知るわけです。社の上層部に伝わるのは時間の問題だと思ったりもして…。こうなってくると会社を辞めないといけないかなとも考えました。

当時、文芸誌「野性時代」(角川書店)の編集者だった見城徹氏(現・幻冬舎社長)と知り合った。彼は僕と同じ静岡・清水育ちなので親近感を持ってくれたのかもしれません。ある日、見城氏から「プロレスが絡んだ小説を書いてみないか」と誘われ、それで書いたのが「セミ・ファイナル」(56年)という作品。次に「プロレスが絡まないものを」と勧められ、「泪橋(なみだばし)」(同年)を執筆しました。「野性時代」に発表された両作は連続して直木賞候補となってしまった。これを機に会社を辞め、作家活動に入りました。

まだアルバイト気分で小説を執筆していたので、直木賞の候補になるなんて冗談でしょ、という気持ちでした。熱心に本も読まないし、文学クラブのようなものにも参加したことがない。文章修業など何もしていないくせに「僕は作家の孫だ」という気持ちはずっとあった。何度か小説の新人賞に応募しましたが、だいたい1次選考で落とされました。見城氏をはじめとする、そのときどきで原稿の受け手となってくれる編集者とのやりとりが僕の文学修業だったという気がします。

〈57年、「時代屋の女房」で直木賞を受賞。東京・大井町で骨董(こっとう)店「時代屋」を営む35歳の独身男、安さんと、店に転がり込んだ奇妙な女、真弓が繰り広げる恋模様が描かれている〉

「泪橋」が受賞を逃した後、見城氏がまたやってきて「今度は何を書くのか」と聞いてくる。僕は「文芸春秋社の編集者に頼まれた書き下ろしを執筆していたので、今回は1回お休みしたい」と返すと、見城氏から「休みはだめだ。何とか100枚で書くべきだ」と強く要請されてしまった。締め切りまでの時間はかなり短かったけれど、どうにか書いたのが「時代屋の女房」。舞台となった時代屋は、僕がかつて住んでいた大井のアパートから大井町駅まで行く途中に実際にありました。

僕の「泪橋」と、つかこうへいさんの直木賞受賞作「蒲田行進曲」が直木賞の選考で競合したのをきっかけに、つかさんの舞台「寝取られ宗介」を鑑賞しました。この作品は意図的に女房を誰かと駆け落ちさせて愛の炎を燃え上がらせる劇団座長の話ですが、僕は、出ていった妻が家に戻ってくるかこないかという筋をその舞台から思い立ちました。つかさん流の演劇センスの中で「時代屋の女房」のヒントとなった感もあります。執筆の筋道をつけてくれた見城氏は恩人ということになるでしょう。

〈「時代屋の女房」は渡瀬恒彦主演、夏目雅子ヒロインで映画化され、大ヒットを記録した〉

映画化すると小説は華やぐんだなという実感はありました。映画と小説は別世界。映像の文体と文字の文体とはまったく違います。その溶け合いが成立したから映画はヒットしたんでしょう。原作のテイストと微妙に重なり、微妙に違う渡瀬さんと夏目さんの魅力を、僕は彼らと一緒にスイングする気分で、ゆったりと眺めていましたね。(聞き手 高橋天地)

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