皇室ウイークリー

(番外編)葉山や那須だけではなかった 戦前に数多くあった皇室の御用邸は今…

【皇室ウイークリー】(番外編)葉山や那須だけではなかった 戦前に数多くあった皇室の御用邸は今…
【皇室ウイークリー】(番外編)葉山や那須だけではなかった 戦前に数多くあった皇室の御用邸は今…
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天皇、皇后両陛下、皇太子ご一家をはじめ皇族方が静養の場として使用される御用邸。現在は栃木県那須町の那須御用邸、神奈川県葉山町の葉山御用邸、静岡県下田市須崎の須崎御用邸の3つがあるが、実は以前はもっとたくさんあった。

よく知られているのは、静岡県沼津市の沼津御用邸だろう。沼津御用邸は明治26年に皇太子時代の大正天皇が静養するために造られたものだ。

本邸のほか、皇孫の「御学問所」として建設された東付属邸、昭和天皇の養育主任だった川村純義伯爵の別荘を買い上げた西付属邸があり、戦時中の昭和20年に本邸が空襲で焼失した後は西付属邸が本邸の役割を果たしていたが、44年に御用邸の役目を終えている。

全国有数の温泉地である群馬県の伊香保温泉にも戦前には御用邸があった。終戦の皇室財産の整理で廃止された伊香保御用邸だ。現在は跡地が群馬大学の伊香保研修所となっている。神奈川県箱根町宮ノ下の富士屋ホテルで「菊華荘」として使用されている施設も、戦後の昭和21年に払い下げられた旧・宮ノ下御用邸だという。

栃木に集中

那須御用邸のある栃木には、数多くの御用邸があった。やはり皇太子時代の大正天皇の静養先として明治32年に造営されたのが、日光田母沢御用邸だ。日光東照宮に近く、戦後の昭和22年に廃止された同御用邸は、戦中の19年7月から約1年間にわたり、皇太子時代の天皇陛下が疎開されていたことで知られる。

一方、あまり知られてはいないが、日光にはこれとは別に、明治期に東照宮の付属施設を買い上げた日光御用邸というのもあったという。日光御用邸は山内御用邸などとも呼ばれ、現在は輪王寺の本坊となっている。戦中は天皇陛下と同様に、日光の地に疎開していた弟の常陸宮さまが滞在されていた。

また、いまの那須塩原市には塩原御用邸という施設もあった。栃木の県令(現在の知事)を務めた三島通庸子爵が明治36年、自身の別荘を皇室に献上したもので、戦後の昭和21年に払い下げられたという。

戦前にすでに廃止

明治時代に造られ、戦前にすでに廃止されていた御用邸も少なくない。

神奈川県の鎌倉御用邸は、現在の鎌倉市立御成小学校と同市役所が建つ場所にあったが、大正12年、関東大震災で被災し、再建されないまま、昭和6年に廃止となっている。

やはり同年に廃止され、現在は敷地の一部に静岡県熱海市の市役所が建つのが熱海御用邸だ。また、静岡市の静岡御用邸は7年に静岡県に、さらに翌8年には静岡市に払い下げとなり、跡地には現在、静岡市庁舎が建っている。明治天皇は関西方面への行幸(ぎょうこう)の帰路、ここに宿泊していたという。

明治天皇が関西の拠点としていたのが、現在の神戸ハーバーランドにあった神戸御用邸だ。明治40年に民間に払い下げられたが、当地には明治天皇御用邸跡の碑が残されている。

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