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蜀漢が滅ぶ! 剣閣を守った姜維の無念…『三国志』の作者・横山光輝が中国取材で得たものとは?

ここからはじめる! 三国志入門 第86回

希望コミックス 横山光輝『三国志』第60巻。©横山光輝・光プロ/潮出版社

 今なお愛読者を増やし続ける名作・横山光輝『三国志』。過去、何度か取り上げてきたが、今回はその作者が三国志を漫画化するにあたっての苦労、中国四川省を取材したときの様子や、取材が作品にどう生かされたのか。担当編集者の回想を交え、まとめてみた。

 

 横山光輝『三国志』は昭和46年(197112月から昭和62年(19872月まで、足掛け15年ほどの長期連載。開始当初は日中国交回復前、参考にすべき資料なども少なく、漫画化に苦労したと横山光輝(19342004)は生前に語っていた。

 

「いちばんよくわからなかったのが、室内の装飾品とか、どこで酒を飲むのかとか、ベッドはどこに置いてあるのかとか、そういった生活のことですね。小説を読んでも、もちろんそんなことは書いてないわけですよ」

 

 初期では、登場人物の服装や武器などは葛飾北斎、歌川国芳の錦絵、兵馬俑の写真などを参考にしていた。国交正常化後は連環画(中国式の古典的な漫画)も入るようになり、イメージしやすくなった。それでもわからない部分は想像で描いていたそうだ。

 

■連載が佳境を迎えたころの訪中

 

 日中国交回復から13年後の昭和60年(1985)、51歳の横山は初めて中国を訪問。最初に訪れたのが四川省の成都。蜀の都である。

 

 横山の担当編集をつとめた岡谷信明さん(潮出版社)は「取材の模様は、テレビで『三国志の旅 横山光輝 諸葛孔明北伐のルートを往く』というタイトルで放送されました。福岡の空港から台湾の桃園空港、香港を経由して成都へ行きました」と話す。当時は直行便がなかったのである。

 

「香港では1泊したんですが、先生は『ホテルから一歩も出ない』とおっしゃるんです。私は初めての香港でしたから出たくて仕方なかったんですが、勝手には出られない(笑)。その代わり、先生がレストランでもバーでも部屋でもおごってくださって、高価なお酒が飲み放題。それはそれで至福の時でした」と岡谷さんは振り返る。

 

 翌日、成都市に到着。ホテル(錦江賓館)に宿泊し、武侯祠(ぶこうし)から撮影が始まった。諸葛亮(武侯)、劉備を筆頭に蜀の人物たちを祀る施設だ。この武侯祠を見学後、成都市内の書店で本場の『三国志』の書籍などを眺めた。

 

 その後、向かったのは成都から北東300キロに位置する広元市方面。その途上にある落鳳坡(らくほうは)では、戦死した龐統(ほうとう)、瓦口関では張飛の活躍を偲んだりした。さらに剣門関(剣閣)や、蜀の桟道(明月峡)といった諸葛亮の北伐ルートをたどった。

 

本場の麻婆豆腐に絶句!

 

「横山先生は四川料理が大好物でしたから、食事を楽しみにしておられたんです。ただ、成都では美味しく食べられたんですが、遠ざかるにつれて辛さがどんどん増してくる。なかでも広元市の店で食べた麻婆豆腐は本当に痺れるような味で、先生にとって『今までの人生で一番辛かった』そうです。それ以来、好物を聞かれると『四川料理。ただし本場は除く』とおっしゃるようになりました(笑)」

蜀の桟道が再現されている明月峡(四川省広元市)撮影/上永哲矢

 広元市を流れる川(嘉陵江)沿いに、現在は「明月峡」と呼ばれる観光地がある。そこが、かつての「蜀の桟道」だ。険しい崖に道を通し、軍勢が通ったというその場所を見て、横山は「こんなところでは、どこで野営するんだろう」と一言。中華民国時代にダイナマイトでくり抜いた道路の下に、当時の本物の桟道跡がある。川辺まで下りていって桟道に開けられた穴などを熱心に観察した。

 

「崖下は危険なので、テレビ局のスタッフは自分たちだけで撮影しようと考えていたようです。でも横山先生は自分も降りたいといわれました。川べりまで降りると(桟道を通す)穴が開いているので、今度はそこまでご自分で登って、穴の中に手を入れて実際に触れて調べておられました。これが作家魂かと感動しました」

 

 当時すでに『三国志』の作中に、写真で見たトンネル状の桟道を描いてしまっていた。しかし、のち重版に際して現地で観た本物の姿に描き直している。取材の成果が生かされた好例といえよう。

 

■物語終盤で描かれた大自然の臨場感

 

 もうひとつ、その象徴的な場面が剣門関(けんもんかん)だ。三国志ファンには、姜維(きょうい)が立て籠もった「剣閣」(けんかく)としてなじみのある史跡だろう。

剣門関を取材中の横山光輝 ©横山光輝・光プロ/潮出版社

「剣門関を訪れたとき、すごい、すごい!とそのスケールの大きさに感嘆の声をあげておられました。岩と人間の大きさとを比較しながら、入念にスケッチしていましたね。まだ連載中でしたので、これから描こうとしていた場面に、しっかりと生かされました」と岡谷さん。

 

 それがコミックス最終巻にある、諸葛亮の没後に北伐を続けた姜維(きょうい)の奮闘である。劉禅が降伏し、成都が先に陥落したと知った姜維や兵たちが、涙しながら剣を岩にぶつけて叩き折る場面が印象深い。

 

 やはり現地で実際に見るのとでは迫力が全然違う。横山はその険しい地形を観て「こんなところなら、魏がいくら大軍で攻めてこようと落とせなかったのもわかる」と現地で語っていた。

 

 また雑誌の取材では「いちばん驚いたのは、やっぱり自然ですね。諸葛亮孔明がよくダムを作って河をせき止めて、洪水を起こしたりするでしょう。最初、あんなに簡単に洪水を起こせるのかなと思ってたんですよ。城が沈むわけですからね。それで実際中国の河と雨季っていうものを見て、これはこの時期にこの辺が雨季になるなと知ってれば、作戦も確かにそうなるだろうなぁと。それでああいうスケール感が出てくるんですよね」とも話していた。

 

 中国大陸の雄大さと、悠久の歴史――。それは奇しくも冒頭で、滔々と流れる黄河を劉備が眺めていた風景にもつながる。三国志のスタンダードにして最高傑作との呼び声も高い横山光輝『三国志』は、こうした筆者の体験が血肉となって生かされた作品でもある。常時手元に置いて、機会あるごとに読み返したい。

 

※取材・文:上永哲矢 主な参考文献/「歴史読本ワールド’918 特集諸葛孔明の謎」(新人物往来社)、「別冊宝島412 よみがえる三国志伝説 新しい三国志の未来が見える本」(宝島社)、「横山光輝三国志事典」(潮出版社)

 

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上永哲矢うえなが てつや

歴史著述家・紀行作家。神奈川県出身。日本の歴史および「三国志」をはじめとする中国史の記事を多数手がけ、日本全国や中国各地や台湾の現地取材も精力的に行なう。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄)、『戦国武将を癒やした温泉』(天夢人/山と渓谷社)、共著に『密教の聖地 高野山 その聖地に眠る偉人たち』(三栄)など。

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