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趙雲が救った息子を投げ捨てる劉備…あの「迷場面」を横山光輝『三国志』は、どう表現した?

ここからはじめる! 三国志入門 第85回

連載開始から10年を経た1982年2月、アトリエにて。©横山光輝・光プロ/潮出版社

 中国古典の入門書として、絶大な人気を誇る横山光輝(よこやまみつてる)『三国志』。単行本で全60巻(文庫版30巻)の大長編だが『三国志演義』を漫画で読めるという点でもありがたい存在だ。「これは孔明の罠だ」とか「むむむ」などの名セリフも有名だが、今回はもう少しマニアックに、本作ならではの個性的な描写、表現力にスポットをあて、その人気の本質を探ってみたい。

 

「向こう(中国)のものを読み進めていったときに、ちょっと異質に感じられるというか、その価値観がよくわかんないときがあるんですよ。(そのために)『水滸伝』でも『三国志』でも、いくつかポンと飛ばしたり、少し変えたりしたエピソードがあるんですよ」

 

 作者の横山光輝(19342004)が生前に語ったところによると、描写するにあたって苦労したのが日本と(昔の)中国の価値観の違いだったという。それが如実にわかるのが、208年の長坂坡(ちょうはんは)の戦いだ。趙雲(ちょううん)が劉備の子・阿斗(のちの劉禅)を抱きかかえ、単騎で曹操の大軍勢を突破し、劉備のもとへ帰還する名場面である。

 

原作のひとつ吉川英治『三国志』との違い

 

 原作小説『三国志演義』では、劉備は受け取った我が子を地面に投げつけ「お前のために趙雲を失うところだった!」と叫ぶ。趙雲は慌てて赤子を拾い上げ「肝脳(かんのう)を地にまみれさせても、この恩には報いられましょうか」と涙する。まさに名場面ではあるが、いっぽうで現代の読者はどこか違和感を覚えるのも事実である。

横山光輝『三国志』で描かれた長坂坡の戦い後の一幕。横山光輝「三国志」希望コミックス 第23巻より。©横山光輝・光プロ/潮出版社

 

「なにもそこまでしなくてもってなりますでしょ(笑)」と感じた横山は「この子をわしの眼のとどかぬ所に連れて行け」と、劉備は子どもを部下に放るようなかたちで渡すに留めるかたちで漫画化している(希望コミックス第23巻)。

 

ちなみに「横山三国志」の原作のひとつ、吉川英治『三国志』ではどうだったか。

「ええ、誰なと拾え」

 

と云いながら、阿斗の体を、毬のように草むらへほうり投げた。

 

「あっ、何故に?」

 

 と、趙雲も諸大将も、玄徳のこころをはかりかねて、泣きさけぶ公子を、大地からあわてて抱き取った。

 

「うるさい、あっちへ連れて行け」

 

 玄徳は云った。さらにまた云った。

 

「思うに、趙雲のごとき股肱の臣は、またとこの世で得られるものではない。それをこの一小児のために、危うく戦死させるところであった。一子はまた生むも得られるが、良き国将はまたと得がたい。……それにここは戦場である。凡児の泣き声はなおさら凡父の気を弱めていかん。故にほうり捨てたまでのことだ。諸将よ、わしの心を怪しんでくれるな」

 吉川英治版でも、劉備は阿斗を投げ捨てていた。本場中国の映画『レッドクリフ』(2008)では、投げつけずに抱きかかえたまま。さすがに最近はソフトな描写が定番かと思いきや、連続ドラマ『三国志 Three Kingdoms』(2010)では、やはり思い切り叩きつけていた。

 

 横山版のソフトな描写が、この場面では異例なのかもしれない。それにしても阿斗はよく無事だったな、アタマは大丈夫だったのかな、さてはこのとき……などと勘ぐってしまうのは大半の読者心理であろう。

 

「連載してた雑誌が『希望の友』っていう雑誌だったんですけど、子ども漫画でしょ。初めに意図していたことは、大人向けの小説『三国志』を子ども向けに描いてみようかってことだったんです」

 

 先の阿斗の場面も同様だが、横山はそのための工夫を随所で凝らしている。たとえば劉備の妻も原作では複数いるが、漫画では「玄徳夫人」として1人に絞った。

 

 いっぽうで、死んだ武将が幽霊になって出てくるというシーンなどは、ほとんどカット。「都合のいいときばっかり出てきて、それだったら、いつも出てきたらいいのにって感じですよね(笑)」という理由からだ。いくら子ども向けとはいえ、子供だましではいけない。こうして原作の共感しづらい部分を横山流にアレンジしたのだ。

横山光輝「三国志」希望コミックス 第13巻・第14巻。©横山光輝・光プロ/潮出版社より

目玉を食べない夏侯惇、呂布の最期にも違い

 

 ほかにも「横山三国志」には、独自の見せ方がいくつもある。第13巻~第14巻からそれらを紹介してみよう。まず曹操軍と呂布軍の戦いで、夏侯惇(かこうとん)が片眼を射られて負傷する場面。目玉もろとも矢を引き抜いて「もったいなや」と食べてしまうのが「演義」(第18回)の描写だが、横山版の夏侯惇は矢を目玉ごと引き抜くも、それを食べるまではしない。

 

 この戦いで、劉備も呂布軍に敗れて逃走する。その道中、ある家でふるまわれた肉が、実は家主の妻のものだった・・・「演義」(第18回)には、そんなホラーじみた場面がある。先ほどの長坂坡と同じく、どう受け取るべきか悩む場面だ。この場面、やはり横山版ではアレンジされた。劉備を慕う里の人が食べ物の包みを渡したり、ひそかに置いていったりするソフトなものになっている。

 

 次に第14巻にある呂布の処刑シーン。捕らわれた呂布は、曹操に臣従を申し出るも結局は最期を迎える。原作では、呂布の最期は絞殺刑だが、横山はスッパリと首を落とされる形に変えている。

 

 明確な理由は不明だが、絞殺刑を漫画で描くと残酷さが際立ってしまうためかもしれない。この場面、曹操と陳宮との問答もなく、そのあたりは残念ではあるが、呂布だけに焦点を絞った散り際はテンポよく、潔ささえ感じられる。このような絶妙なバランスも横山三国志の魅力。原作との違いを見つけ、それを分析することも本作の楽しみ方のひとつだろう。

 

※取材・文:上永哲矢 主な参考文献/「歴史読本ワールド’918 特集諸葛孔明の謎」(新人物往来社)、「別冊宝島412 よみがえる三国志伝説 新しい三国志の未来が見える本」(宝島社)、「横山光輝三国志事典」(潮出版社)

 

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上永哲矢うえなが てつや

歴史著述家・紀行作家。神奈川県出身。日本の歴史および「三国志」をはじめとする中国史の記事を多数手がけ、日本全国や中国各地や台湾の現地取材も精力的に行なう。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄)、『戦国武将を癒やした温泉』(天夢人/山と渓谷社)、共著に『密教の聖地 高野山 その聖地に眠る偉人たち』(三栄)など。

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