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なぜ義経は悪天候の中で屋島へ渡海することができたのか?

四国の反平家勢力の協力があってこそ渡海は成功した

那須与市の伝説
『平家物語』や『源平盛衰記』に登場する那須与一は、下野那須氏の豪族が義経の配下として西国に従軍したと推測されているが、扇の的のエピソードは創作と見ていい。
『源平八島の戦、那須の與市』東京都立中央図書館特別文庫室

 寿永3年(元暦元/1184)2月の一ノ谷の戦いに勝利した源頼朝は、範頼には主力軍を率いて鎌倉へ帰還させ、義経には在京代官として西国の軍政を委ねた。

 

 義経は山城・摂津・河内・和泉を直轄とし、山陽道へは土肥実平(どひさねひら)・梶原景時、伊賀に大内惟義(おおうちこれよし)、紀伊に豊島有経(としまありつね)、伊勢に大井実春(さねはる)を配し、平家余党の探索、その所領の接収、治安の回復、御家人の編成、兵粮の徴収などにあたらせる。新たに勢力下に組み込んだ西国地域を、いかに安定的に管理していくかが、本格的な平家追討戦に向けての課題であり、それを統轄していたのが義経となる。

 

 一方、同年8月には、再び鎌倉から範頼を大将軍として追討軍が派遣される。武田・千葉・三浦などによる主力部隊であり、九州への渡海に手間取ったものの、元暦2年正月に豊後へ上陸を果たすと、間髪を入れず筑前へ進み、芦屋の戦いで原田種直(たねなお)ら平家の主要勢力を一掃する。範頼軍はそのまま南下して九州全域の制圧を目指す。ここに義経の四国出陣の準備が整った。

 

 これより先、同年正月10日に義経は摂津へ下り出兵準備を進め、翌年2月16日に四国渡海を決行する。

 

 日程・着岸地について異説はあるが、およそ2月16日に摂津渡辺を出港、17日阿波勝浦着、18日讃岐屋島攻撃といった流れであろう。着岸が屋島近辺ではなく遠く離れた勝浦なのは、源氏軍には屋島を直撃できる水軍がなかったことと、民部大夫成良(みんぶたいふしげよし)の本拠阿波国府への攻撃が最優先されたからだろう。成良は屋島に内裏を造り平家一門を招れ入れ、平家から「高き山・深き海」と頼りにされる四国最大の平家与党である。

 

 しかし平家にとって四国も安住の地ではなく、伊予の河野氏、阿波・讃岐の在庁(ざいちょう)、淡路の安摩(あま)氏など反平家勢力がうごめいていた。それら勢力は成良と敵対関係にあり、義経の渡海・屋島攻撃は、こうした地域対立に便乗したことで成功した。

 

 義経が着岸した勝浦は近藤親家(こんどうちかいえ)の支配地で、義経はその案内により成良の一族桜庭能遠(さくらばよしとお)を攻撃し、屋島へと攻め込んでいる。つまり義経が親家を味方にしたというより、親家が成良打倒のため義経を招いたといえよう。親家の他に摂津の武士団渡辺党や、淀津を根拠とする武士など、日常的に瀬戸内・紀伊水道を行き来している海運のエキスパートが義経渡海にかかわっており、これだけ準備したら失敗しようがない。

 

 『平家物語』では、渡海は大風大波という悪天候下、合戦奉行の梶原景時との対立の中で強行されたので、源氏軍200艘のうち、義経に従ったのが5艘のみだったが、暴風が幸いして3日の行程を6時間で押し渡ったとされる。

 

 これが真実だとすれば、5艘のみの渡海は、もとより招かれていたので単身でよかった、そして短時間で渡海できたのは海のプロたちのおかげなのだろう。また桜庭・国府を制圧した翌日に屋島へ攻め寄せるという速攻が可能であったのは、この攻撃を主導したのが四国の反平家勢力だったからで、義経の手勢のみであれば、これほどスムーズな進軍は考えがたい。

 

 義経と逆櫓(さかろ)の口論により本隊を率いて海上から屋島を目指した景時が、屋島の戦いに間に合わず「六日の菖蒲(むいかのあやめ)」と嘲笑されたことは有名だが、これも義経が早かったにせよ、景時が遅れたにせよ、いまだ平家に制海権を握られている段階なので、海上決戦は選択されなかったのだろう。

 

 この後、伊予河野氏、紀伊熊野水軍の与力を得て、平家を西に追い詰める中で準備が整えられていったのである。

 

監修・文/菱沼一憲

『歴史人』2月号「鎌倉殿と北条義時の真実」より)

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