【隅田川の歴史と暮らし】

2023.06.23

隅田川の役割

隅田川と住民とのつながりには深い歴史があります!江戸時代の隅田川は水が清く、白魚(しらうお)が多く獲れたそうです!今では水質汚染などの影響によって、白魚は見ることができなくなってしまいましたが、江戸時代には名物になるほどでした!! 今では考えられないことですが、うなぎやえびなどの高級食材も多く獲れていたらしく、当時の食生活を支えていました!!

また水流を生かし、船での運搬作業を可能とし、江戸城下建設に大きく貢献、各地の特産品の流通が活発になり、魚の日本橋野菜の神田材木の木場酒の新川へと運ばれ、現在も栄えています!また沿岸域は埋め立てられ、江戸幕府の年貢米を保管する御米蔵が作られました!米蔵の前だから現在も蔵前と呼ばれ、問屋街、職人も多く【東京のブルックリン】とも呼ばれていたりします!!

その後自動車の普及により、河川を利用した物流は衰退しましたが、現在でも遊覧船や一部石油製品などの運搬で活躍しており、私たちの生活に欠かせないものとなっています!!

隅田川の氾濫と対策

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皆さんは隅田川がかつては「荒川」と呼ばれていたことはご存じでしょうか!?江戸時代から明治にかけて何度も洪水が発生、名前の通り「荒ぶる川」だったわけです。この荒ぶる川をどうにかしようと1910年から巨大放水路を作るため、約20年に及ぶ大工事が行われ放水路は完成、その放水路が現在では「荒川」と呼ばれています!

それから約100年が立ち、現在も我々を守ってくれています!! しかし2019年の台風19号で隅田川氾濫の可能性があったことはご存知ですか!?ですがこの危機を救ったのは荒川から隅田川に流れる水の量をコントロールする岩淵(いわぶち)水門です!!   

この水門を閉めることで荒川から隅田川に水が流れ込まなくなり、隅田川の氾濫は防がれました。隅田川の堤防の高さは約6.9m、荒川の堤防の高さは約10mと荒川のほうが高くなっているためこのような対策が可能となっているため、台東区周辺の水害が抑えられています!!                  

隅田川花火大会

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もう知らない人はいないと言っても過言ではない「隅田川花火大会」ですが、実はこの名称は昭和53年からと歴史は浅い呼び方なのです!!それまでは「両国の川開き」という名称で親しまれていました。この花火大会の起源は江戸時代中期の享保18年(1733年)、8代将軍徳川吉宗が始めたものとされています。当時は享保の大飢饉、また疫病が流行し多くの方が亡くなりました。翌年幕府はその慰霊と悪病退散を祈る水神祭を隅田川で行いました。その余興として20発ほどの花火を打ち上げたとされています。           

これが恒例となり、「両国の川開き」と呼ばれるようになりました。その後世界情勢なども合わさり、約17年ほど開催することがかないませんでしたが、昭和53(1978)年に「隅田川花火大会」となって再開されました。      

                                                               近年では新型コロナウイルスの影響で開催することができませんでしたが、2023年4年ぶり、7月29日約2万発の花火での復活となり、楽しみにされている方も多いのではないでしょうか!?



公開日 2023年06月23日
更新日 2023年08月07日

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