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桝本 壮志さん(放送作家)

印刷用ページを表示する掲載日2015年2月7日

桝本壮志さん

ひろしま人は地元の歴史や良さを伝える
アピール力をもっと身につけてほしい

 <プロフィール> 
  桝本 壮志(ますもと そうし)
  
昭和50(1975)年7月8日生まれ、広島市出身。高校時代は県立広島商業高等学校硬式野球部に在籍。
   現在は、放送作家として『天才!志村どうぶつ園』『ナニコレ珍百景』などの番組を手掛ける。
   平成15(2003)年『広島アスリートマガジン』で連載を開始し、平成24(2012)年に書籍化した『変愛野球論~9年間タダで書き続けたあるTV作家のCARPコラム!~』の売上で、マツダスタジアムに50メートルの巨大鯉のぼりを寄贈。
   広島ホームテレビ『鯉のはなシアター』の企画・構成からMCまで担当。

ひろしまに住んでいる人たちに、
地元の良さをもっと知ってもらいたい

親戚が山本浩二さんとご縁があったことから、家族はもちろん近所に住んでいる親戚も全員カープファンという環境で育ち、物心ついてからずっとカープを応援してきました。今のカープはファンも増えて、球場も満員で、周囲の産業にも好影響を与えていると思います。でも、過去のカープ黄金期を知っている者としては、「熱しやすく冷めやすい」と言われるひろしま人が、いつまで応援を続けてくれるのか心配な部分もあります。
かつて、南米へ移民した日本人で最も多いのが広島県民。「おらが町のものだ!」という熱さや郷土愛を持っている反面、故郷を離れるドライさも持っている県民性だと思います。
ブームは常に微熱のまま続くのが丁度いいんですが、僕は流行を煽ってきたメディア人として、それ(ブーム)を続けるためにどうしたらいいかを考えています。そのひとつの取り組みが、僕が企画・構成からMCまでを務めている、広島ホームテレビ『鯉のはなシアター』。ひろしまとカープのいい話を紹介する番組です。僕は今、ひろしまの外に住んでいますが、ひろしまに住んでいる人たちに、地元の良さをもっと知ってもらいたいと思って制作しています。本来は、ひろしまの中にいる人がやるべきだと思うんですが、中にいたらわからないこともありますよね。だから、「こんないいものがあるじゃない?」と外から声をかけるんです。

広島ブランドショップTAUでのイベント
ひろしまにはこれまでもそんな人がたくさんいたんです。カープの初代監督・石本秀一さんは、大阪タイガースなどのプロ野球チームを監督として渡り歩き、そのノウハウを持ってひろしまに帰って来てカープの監督となった方です。昭和36(1961)〜37(1962)年の監督・門前眞佐人さんもそうです。また、昭和20(1945)年8月6日以降、外で成功していた人が、ひろしまに帰って来て復興を手助けしたエピソードもあります。

大海に出て見聞を深めた人が、故郷に帰って来て叱咤激励するのは、先人の広島県民がやってきた素晴らしいことなので、僕も、晩年はひろしまで何かやりたいと思っています。
先人がやってきたことに胸を張って、僕らはどうやって踏襲していくかは、テレビマンになってから真剣に考えるようになりました。今は、文章と映像で知ってもらうことが自分のすべきことだと確信して、活動を続けています。

ひろしまの“そもそもストーリー”を
もっと伝えてもいいのでは?

「カープ女子」の認知度や、最近のカープグッズの面白いデザインを見ると、最近のひろしまはエンターテインメント力がついてきたと思います。でも、まだまだアピールが下手。今あるひろしまをPRするにしても“そもそもストーリー”をもっと伝えてもいいのではないでしょうか。

例えば、明治時代、国の立法・行政・軍事の最高機関が広島市に集積したことで、ひろしまが臨時の首都の機能を担った広島大本営。その後、ひろしまは軍都として原爆投下も目標とされるわけですが、その一方でマツダなどの大企業を育んで町が栄えたという利点もありました。原爆投下と平和を伝えることは大切ですが、どうしてそうなったのかといった部分が語られることが少ないように思えます。“ひろしまは首都だった”と教科書に書いてあったら、歴史が苦手な子どもたちもすごく興味がわくと思いませんか?

ほかにも、江戸時代の歴史家・頼山陽が(歴史書「日本外史」で)日本三大奇襲と挙げる、「厳島の戦い」。日本で初めてバウムクーヘンを焼いたのは、捕虜としてひろしまに収容されていた『ユーハイム』創始者のカール・ユーハイム……など、いろんな背景を持ったエピソードが山ほどあるんです。それを子どもたちに伝えていくべきだし、ひろしま人はそういったエピソードを誇りにしていいと思います。

ひろしま人の心意気を
“樽企画”で

原爆によって、75年間草木は生えない、人が住めないと言われた街に、原爆投下後5年でプロ野球チームができました。発桝本さん足当時のカープは樽募金で支えられた話は有名ですが、そのときの広島市民の生活はみんな苦しかったんです。そんな状況なのに樽募金をする人が数多くいた。そんな市民の思いから生まれた球団が、弱小と言われながらも、25年経って優勝するチームに育っていきました。

ひろしま人にはそんな心意気がベースにあるので、行政は市民にもっとアイデアを求めてもいいと思います。その方法のひとつとして「樽企画」というのはどうでしょう。今、ケータイ大喜利が流行っているんですけど、そんなノリで市民にお題を出します。

例えば、「○○川が汚くなってきたよ。どうすればキレイになる?」というお題に、市民が考えた答えを募集するんです。いろんな年齢や職業の人の出すアイデアの中からは、常識にとらわれない歴史的な答えが生まれるかもしれません。

会議室で担当者だけが考えるんじゃなくて、市民の中から出てきた答えで問題が解決されたら、本当に良いことだと思います。そのためには、周りの仕掛人が、市民を楽しませながらちゃんと導いていかなくてはいけませんが、ひろしまは、そんなことができそうなニオイがプンプンする県なんですよ。

桝本壮志twitter
https://twitter.com/soushihirosho

広島ホームテレビ『鯉のはなシアター』
http://home-tv.co.jp/koibana/index.html

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