麻木久仁子さん
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岩永雅也・放送大学学長
スペシャル対談

23年4月、還暦を機に放送大学に入学した
タレント・国際薬膳師の麻木久仁子さん。
現在、選科履修生として
「フードシステムと日本農業(‘22)」
「食と健康(’18)」「食の安全(‘21)」「がんとともに生きる(‘18)」の4科目を
受講している。
今回特別に、放送大学学長の岩永雅也氏と、
麻木さん自身の経験も踏まえて「学び」を
テーマに対談を行った。

  • テキストが手元に届いて、
    「おぉっ!?」とびっくりしました
    (麻木さん)

  • ――麻木さんが4月に放送大学に入学されて約1カ月が経ちました(※インタビューは5月上旬に実施)。これまで講義を受けてみての感触、手応えをお聞かせいただけますか?

  • 私は「今後、食について発信したい」という想いから、“食”という言葉をキーワードに履修科目を選びました。テキストが届き、開けてみて「おぉっ!?」とびっくり。というのは、テキストの内容が完全に理系だったからです。実は私、もともと大の理系科目嫌いで……。でも考えてみたら食にまつわること、人間の身体にまつわること、健康にまつわることというと、やはり理系の勉強になりますよね。
  • そうですね、講義では化学式なども出てきますから。
  • 科目についての説明に「高校レベルの科学、生物の素養が必要です」とちゃんと書いてあったのに、完全に見落としていて……。「しまった!」というところからのスタートでした。高校に通っていたのが45年前、今振り返ると「どうやって高校を卒業したのか」と思うぐらい勉強をしていませんでしたから、当時の学習内容なんて覚えていません。ですからまず、高校の教科書を買いました。授業が始まった4月中旬から下旬にかけては、放送大学のテキストの内容になかなか入れなくて。1ページ、大学のテキストを読んでは高校の教科書と突き合わせるという作業が続き、少しずつ講義に追いついてきたという感じです。でも60歳になってからこうして若い世代と同じことを学び、新しい世界を覗くというフレッシュな感覚を味わえて、とても楽しいです!
  • 中学から高校、高校から大学へと進学し、学びのブランクがない人たちを俗に“ストレート学生”と言いますが、彼らは社会をほとんど経験していませんから、教科書に書いてあることや先生の言ったことをそのまま覚えます。一方、麻木さんのように学生時代を経て数年~数十年の社会経験、人生経験がある方は、頭に新しい情報が入ってきたときに、それは今まで自分が体験したことのどれに該当するかと、無意識のうちに当てはめながら吸収していきます。そのように学問知と自分の経験知を擦り合わせる作業というのが、放送大学の主軸である生涯学習のいちばんの醍醐味ではないかと思います。
  • 自分の経験知と擦り合わせるというお話で言うと、私は乳がんを経験していまして、がん検診の啓発活動などもやらせていただいていることもあり、『がんと生きる』という科目を履修しています。この10年間、治療を受ける中でお医者さんや看護師さん、闘病仲間などの話を聞いていろいろと感じることがあったのですが、授業で先生方のお話を聞き、「あのとき私が感じていたことを論理的に言うと、こういうことなのか」と理解するなど、学術的根拠を提示されて「なるほど」と思うことが多いです。
  • 学生の方からは、授業を通じて「腑に落ちた」「納得できた」という声がよく聞かれます。既にいろいろな経験知を備えておられる放送大学の学生さんには、ストレート学生さんには少ない“納得力”があるように感じます。私も講義を持っているのですが、受講されている生徒さんの中に中学校の校長を長年務めてきた方がいらっしゃいます。長く現場経験を積んでおられる方だからこそ、講義後のレポートでは私の授業内容とご自身の経験を絡めて生き生きと書きまとめておられ、私自身も非常に刺激を受けます。
  • 授業を受け始めて、先生方に対する畏敬の念は若い頃よりずっと強くなりました。私の場合、これまでの経験知が良くも悪くも感覚的なので、先生方のように事象を論理やデータできちんと整理されているのに触れて、「学問の世界で生きる方はすごいな」と思い、感覚的なところで留まってしまいがちな自分を改めなければと感じました。先生方の中には私より若い方もいらっしゃいますが、自分よりずっと深く学問や知識を持っている方に対して正座する自分、というのがちょっと嬉しかったりもして(笑)。この歳でものを教えてくれる“師”と出会ったという感覚を持てること、自分が謙虚になれる時間があるというのはとても嬉しく、豊かな時間だと感じています。講義はもちろんですが、そういった学びのシチュエーションも楽しいんですよね。授業はオンラインなので先生がリアルに目の前にいるわけではないのですが、私は人生の中で最大にお行儀よく、正座をして聞いています(笑)。
  • 私どもも何年も授業をやっていますと、少しずつ成長します。今になってみると、「30代の頃、学生さんに話したあの話はちょっと恥ずかしかったな」「あのとき、もっとこういうことをやっておけばよかったな」と、反省点が浮かぶことも多いです。皆さんへの講義を通じて、こちらも日々、勉強だなと思っています。
  • 生涯学習において成績とは、
    自身の理解度を測るためのもの
    (岩永学長)

  • ――麻木さんはストレート学生だった頃と今とでは、ご自身の“学び”にどのような違いを感じていますか?

  • 小学生のときは中学受験を親に強いられ、中学生・高校生の頃はとにかく赤点を取らない、単位が取れるように頑張るという感じでしたね。とくに高校のときは出席日数や欠席日数、遅刻・早退日数をきっちり手帳につけておき、最低限の出席数で、単位をもらえるギリギリが60点だとしたら61点を取って卒業する、そんな学生でした。
  • 合格点ギリギリを狙うというのは、なかなか勇気が要ると思いますよ。
  • 1問でも間違えたら、アウトですものね。放送大学には単位認定試験がありますが、今の私の気持ちとしては、合格点がたとえば70点だとしたら、「71点取ればいいのね」とは思っていません。単位はもちろん欲しいけれど、単位を取るために放送大学に入ったわけではなく、“自分が学びたいもの”のために入学したわけですから、試験は100点を取るつもりで臨みたいです! 実際には100点は難しいと思いますが(笑)、1点でも高い点数が取れたら、きっと嬉しいと思います。
  • その意気込みは素晴らしいですね。ストレート学生と生涯学習の方とでは、点数や成績の位置づけが違うと思います。ストレート学生の頃は、成績というのは先生や親など評価してくれる人に見てもらうものです。しかし生涯学習では、誰も見てはくれないし褒めてももらえません。では成績とは何かというと、授業内容をどのぐらい理解したのかを自身が測り、納得するための数値なんです。生涯学習では、成績や点数は人に評価されるためのものではなく、自分に向けて出されるものなのだということです。
  • 自分が好んで受けた講義を、「私はこれだけ理解できたのか」「理解できていないところがこれだけあったのか」と知り、そのうえで次はどうするかを考えるための材料ですね。
  • 放送大学の学生さんは点数がなかなか取れない試験にも文句を言いますが、みんなが95点以上を取ってしまうような試験にも「易しすぎる」「バカにしているんじゃないか」と文句を言います(笑)。
  • ストレート学生さんなどは“楽単(楽に単位が取れる授業)”を取って単位数を稼いだりしますが、私たちのように改めて学ぼうと思う人間は、「楽単がいい」とは思わないですね。講義や試験がちょっと難しかったとしても、自分が興味のある勉強ならばやるしかないという気持ちになります。
  • ――岩永学長はこれまでさまざまな角度から“学ぶ人々”に関わって来られましたが、生涯学習をされる方々に共通していることはあるでしょうか?

  • 放送大学の学生さんを形容するとき、私どもがよく使うのが「多様な学生」という言葉です。年齢層が非常に幅広く、肩書きもさまざま、学習への熱量もそれぞれで、それは他大学でも同じだと思います。ただ、一般の大学ですと入学試験などさまざまなコスト、努力を払って入りますから、ちょっとやそっとのつまらない授業では大学を辞めようとは思いません。しかし放送大学は「つまらない」「役に立たない」と思えば、すぐ辞められる大学です。ということは、今在学している学生さんは、そう思わなかった人たちということなので、まさに“生涯学習のエリート”と言えるのではないでしょうか。またすべての学生さんが、勉強が好きかというと必ずしもそうではありませんが、非常に大雑把にくくった場合には、「学びを楽しんでいる人」と言えるとは思います。
  • 入学に際してパンフレットを拝読しましたが、資格取得などの目的のために学士号をもらうことが必須の人もいますし、私のように学びたい内容を好きにチョイスするという人間もいる。目標を自由に設定できるから、結果的には入学する人も“多様”ということになるんでしょうね。放送大学は本当に多様なニーズに応えている場だと思います。たとえば学歴という点で格差社会に苦しむ人が、それほど高くない学費で大人になってから学ぶことができたり、一度はドロップアウトしてもまた戻ってくることができたりと、放送大学には幅広い選択肢があります。またさまざまな目的やモチベーションをもってこの大学に集まった人たちが、面接授業(スクーリング)で偶然隣り合わせになり、新しい気づきがあったりときには友情が生まれたりするというのも、面白いところかもしれません。
  • 目的に合わせて学び方を自由に
    選択できるのが、放送大学の魅力
    (麻木さん)

  • 面接授業は日本全国57カ所の学習センターやサテライトスペースなどで開講されていて、開講科目が場所によって異なります。受講は自分の所属している場所でなくてもよいので、”魚がおいしい土地”とか、”温泉がある土地”など、学生のみなさんそれぞれ、土地に足を運ぶ楽しみと共に面接授業を受けておられます。
  • たとえばお魚のおいしい時期に、東北のほうで行われる面接授業を受けるとか、寒い時期に九州地方の温泉地で受講するということができるということですか?
  • ええ、そうです。
  • ステキ! これは生涯学習者ならではの特権かもしれませんね。
  • 放送大学はある意味、日本でいちばんキャンパスが広い大学、日本の国土約37万㎢がすべてキャンパスだとも言えると思います。かつて私が教えた方で、「あそこでこんな楽しい面接授業を受けたので、今度は奥さんを連れて行きます」と言っていたのですが、彼が授業に出ている間、奥さんは暇になってしまう、それはイヤだということで、奥さんも学生になることを決めた。そういうありがたいパターンもありました(笑)。
  • ”学ぶ”という楽しみを、別の楽しみとドッキングして味わえる。これは、放送大学でしか味わえない学びだと思います。
  • 旅行会社のツアーと異なり、現地でしっかり勉強をするわけですから、充実感が違います。学生さんの中には「57カ所全部回ってきました」という方もいらっしゃいますよ。
  • ほかの大学と同じように学べるという側面プラス、ほかの大学にはないバラエティに富んだ講義もあるというのがいいですね。
  • 自分の興味関心、目的に合わせて学校を活用できるというのが、放送大学のいちばんの魅力ではないでしょうか。
  • テレビで放送大学の番組表を確認すると、本当にさまざまな授業が朝から夜まで放送されています。どんな人も、なにか興味をひかれるものがあるはず!
  • そのほかにオンライン科目や面接授業もありますから、皆さんの知りたいことややりたいこと、学びたいことに応えられると思います。
  • そういうカリキュラムを覗いていると、“食”にまったく関係のない科目にも興味が出てきてしまい、「待て待て! まずは食に関する授業をきちんと修めてからよ」と自分にブレーキをかけています(笑)。
  • 総合大学と同じぐらいの範囲で授業を提供しているのですが、学生さんからは「数が多すぎて、どういうふうに授業を取ったらいいのか分からない」という意見もあります。メニューがたくさんありすぎる居酒屋のような状態ですね。それはもう少し整理して、「こういうことをやりたいなら、この授業」と分かりやすく体系化した提示の仕方などを考えなければなりません。また授業内容についても「この授業では何をやるか、どういう基礎的な知識が必要か」と、もっと分かりやすい提示の仕方も必要かなと反省する点があります。また放送大学は授業数の多さ、学べるジャンルの幅広さなど“横の広がり”が目立ちますが、実は“縦の広がり”も強みで、大学院には修士課程(2年)、その先に博士後期課程があります。約3~4年かけて博士論文を書き、卒業された方の中には公立大学の教授になった方もいます。そんなふうにどんどん先を究めていけるというのも、放送大学の魅力のひとつと自負しているところです。
  • 経験知をどれだけ多く学問知に
    変えていくかが、生涯学習の学び
    (岩永学長)

  • ――岩永学長は人間にとって「学ぶこと」にはどのような意義があるとお考えですか?

  • 「教育」というと決まった学問体系があり、それを頭の中に入れて記憶していく、スキルを身に着けていくと思われがちですが、本質的なことを言えば、人間はいろいろな環境の中で生きており、自分の周りにあるものを理解したうえで、個々の頭の中にその環境のミニチュアを作っていきます。そういう行為を社会学では「社会化」(socializasion)と言いますが、それがまさに教育の成果だと思います。そうすると、社会の仕組みや環境により多く触れた経験のある人は、それだけアドバンテージがあるわけです。生涯学習の場合はストレート学生と違い、自分の持っている経験知をどれだけ多く学問知に変えていくか、それが“学び”だと思います。単に単位を取ったというだけではなかなか自身を納得させられないと思うので、大事なのはやっぱり学習の中身。単なる点数や成績ではなく、「ああ、勉強したな」という手応えや「こういうことが分かった」という充実感こそ、最も生涯学習らしい評価であると思います。
  • 若い頃は単位を取り、卒業するために授業をやむなく受けていましたが、大人になって、新しい知識を得ると楽しみが増えるのだと気づきました。たとえば歴史の講義を受けると、大河ドラマを観るのがより楽しくなるとか。自分が地上波デジタルのチューナーしか持っていなければ地上波しか見られませんが、BSのチューナーがあればBSも見られるようになります。大学で勉強するというのは、受信機や受信できる電波の数を増やすようなイメージで、その先に進むとなると、自分たちで受信機を作り始めるというレベルになるんでしょうね。より多くの番組を楽しめるよう、受信できる電波を増やしたいなと思っています。少なくとも学んだ分だけ、受信できる電波はきっと増えると思います。
  • 私は、学習の最終的な目標とはジグソーパズルを完成させることだと考えています。完成させるためには、ピースをちゃんと持っていなくてはならない。ストレート学生のときは、いろいろな可能性のあるピースを闇雲にもらい、たくさんピースを持っている人がいい大学に入るという構造になっています。しかし、ピースをただ持っているだけでは、意味がありません。最終的にはそのピースの中から選び取り、自分なりのジグソーパズルを完成させなければいけない。そのときに学問というのは、適切なピースを選び、はめ込む手助けをしてくれるわけです。中高年から学びに取り組まれる方というのは、あまりピースを持っていないことが多いので、ピースを多く手に入れるために頑張るというのもひとつの手ですが、そこはインターネットを活用してピンポイントでピースを探し、空いているところにはめていけばいいと思います。
  • 今は信じられないくらいの量の情報が溢れていて、たとえばインターネットで調べる、本屋さんで本を買うといったことでも知識は得られます。ただ、そこで自分がアクセスした情報が適切なピースの形を成しているのかが疑問で……。情報に容易にアクセスできる時代だからこそ、内容はまさに玉石混交。その“玉”と“石”を見極める力は最低でももっていないといけないなと痛感します。地図も羅針盤も持っていない人が、情報の海に飛び込んでも溺れるだけですから。そういう点で、大学の講義というのは実に過不足なく、「この学問を学ぶのなら、この知識は押さえなさい」というポイントをしっかり網羅していて、信頼度が高いと私は思います。
  • おっしゃるとおりです。日本の大学は1970年代以降、大衆化しました。大衆化しなければ学生が入学せず、大学が潰れてしまうためにそうした流れになりましたが、一方で大衆化したことで授業レベルを落としていかなければならず、授業内容も学生迎合的な流れになりました。するとどうしても、「これが学問だ」というラインを示しにくくなる。大学の大衆化による弊害です。放送大学では学生による授業評価もありますが、どの授業も基本的に学生がどんな態勢で聞いていようと関係なく、講師が教えたい内容を受講者に届けるという環境です。「あなたは気に入らないかもしれないけれど、これが学問だよ」というレベルの内容をこちらから提示できるというのは、教える私どもの側にとっても魅力あるメディアだと感じています。
  • 大学で講義を受ける意味というとやはり、人類がこれまで積み重ねた知識の上に成り立つ学問を学べる、ということだと思います。そういうきちんとした学問に中高年でもアクセスしやすいのは、やはり放送大学という場じゃないでしょうか。
  • 学習に限らず、何かを達成するためには“達成モデル”が必要です。麻木さんにはこれからいろいろなことを勉強し、メディアなどでどんどん発信していただき、「ああいうふうに勉強すれば、あんなふうになれる」という達成モデルになっていただきたいです。
  • いえいえ、そんな! 今は“食”に関わる講義を受けていますが、食とは健康、健やかに生きるということなので、人の健康に関わること、たとえばスポーツ医学や社会環境、福祉といった勉強も、余力ができたら少しずつ手を広げたいなと考えています。私としては楽しんで勉強しているので、「なんだか楽しそうな老後を送っているな」と温かく見守っていただければ嬉しいです。
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