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HY『自社レーベル設立へ――不安と期待、変化と成長を語る!』

前作『Route29』から1年3ヶ月、自社レーベル「ASSE! Records」立ち上げ第1弾アルバムが完成した。今回、10年ぶりに地元・沖縄で楽曲制作したことで「原点に戻れた」という彼らだが、自社レーベルという次のステップへと進んだいきさつや、そこに至るまでの悩みや不安。さらに新たな環境での手応えなど、今だから話せる貴重なエピソードをフューチャー。生れ変わったHYの変化と成長をじっくりと語ってもらいました。

自社レーベル立ち上げは、そろそろ自分たちの足で踏み出していく時期

――昨年立ち上げた、自社レーベル「ASSE!! Records」初のアルバム『GLOCAL』がリリースされますが。そもそも自社レーベル発足は考えていたんですか。
名嘉俊僕ら全員30歳になったんだけど、28〜29歳ぐらいから同級生が店長になったり、転職に悩みだしたり、転機を迎えてる話を聞くようになって、自分たちもこのままでいいのかなと思うようになって。それまで東京の恵まれた環境のなかで、決められたレールの上を歩いてるような感じだったけど、そろそろ自分たちの足で1歩1歩踏み出していく時期なんじゃないかなって考え出したんです。

――それまでの環境に息苦しさみたいなものを感じていた?
名嘉いや、むしろ居心地は良かったです。機材は揃っているし、何をするにもスタッフがやってくれるし。でも、それがいい意味でも悪い意味でも、危ないなっていう危機感になっていたんですよ。
仲宗根泉レールが敷かれて大勢のスタッフに囲まれて、そこにいれば大きな船じゃないけど安心感も安定感もある。でも安定するがゆえに、どんどん歌詞が書けない状態になっていましたからね。だから何か大きく心の変化を起こすようなことがないと、ダメなんじゃないかなと。

――でも恵まれた環境を抜けるって相当のパワーがいりますよね。躊躇するメンバーはいなかったんですか?
名嘉メンバー同士で意見が割れるっていうより、それぞれのなかに反対する自分と賛成する自分がいたと思います。40歳になってからでもいいんじゃないか、とか。
仲宗根でも私たちは何でもそうだけど、お互い空気感で考えてることがわかるというか。“この人、不安を感じてるかも”って察したら、より強い気持ちを持ってる誰かが“大丈夫だよ”って不安を取り除いてあげるとか。そういう話し合いは何回かしました。で、やっているうちにだんだん決意が固まってきて、最終的には“HYらしく表現できる場所を探しに行こう!”ってところに行き着いたっていう。
名嘉僕らは魚でいうとボラですから。

――ボラ?
名嘉1匹がどこかに向かったら、他のみんなも着いていく。で、先頭が遅れたら次が出てきてまた進むっていうボラの動きと一緒(笑)。自然に足並みが揃うんです。
許田信介付き合いが長いからね(笑)。

“沖縄スタイル”――原点に戻れたことが何よりの発見

――では、新体制になって初のアルバム制作の手応えはいかがでしたか?
名嘉実際に立ち上げてみたら、音楽以外に考えなきゃいけないことがたくさんあることに気づいて。曲づくりどころじゃなかったです、最初は。
新里英之僕の場合は正直、自分たちでやっていけるのかなっていう不安がすごく大きくて、全然曲が出てこなかったんですよ。でも他のみんなはこれから自分たちの好きなことをやっていけるとか、ワクワクするって言っていてすごいな、心強いなと。それが励みになったし、僕自身も“この悩みを乗り越えたときにいつも以上に力強い曲が生まれてくる”って信じるようにして。で、あるとき今の不安な気持ちをそのまま書こう!って気づいた瞬間、パッと目の前が開けて、そっからは一気に曲が出てきましたね。

――『GLOCAL』はそういう一気に吹き出た衝動とか解放感をダイレクトに表現した曲が多い。アルバム全体からも今まで以上に振り切ったパワーを感じました。
仲宗根それは10何年ぶりに沖縄で全曲収録することができたせいでしょうね。以前は2ヶ月か3ヶ月ぐらい同じ場所にブロックされて、自分の部屋とスタジオの往復だけみたいな感じだったので、レコーディングするとみんな固くなっていたんですよ。
宮里悠平東京でやってる頃はフレーズが出なくてよく悩んでましたからね。でも今回はリラックスしてたせいか、パッと出てくることが多くてそれが楽しかった。
名嘉地元でペンションを借りて、合宿みたいに制作に打ち込んだのもよかったよね。打ち込むっていってもバレー部が毎日アタックとトスを受けるみたいな、ハードなものじゃなくて(笑)。ビーチを見ながらゆっくり時間をかけて仕上げたので、収録した全部の曲に自分たちが音楽で見せたい沖縄の匂いみたいなものを入れられたんじゃないかな。
新里僕の中で特に地元制作ならではの良さを感じたのは、1曲目の「会いたい」。リラックスしながら自分の心に眠っている遊び心を思いっきり出せたというか。<好きだ>を連呼するサビとか、みんなに笑われるんじゃないかなってフレーズも枠を取っ払って素直に出せたんですよ。
名嘉そういう明るい曲があるからこそ、泉(仲宗根)が書いた「昔の人よ」とか、重い曲も生きてくる。この曲はヤバいです。僕、船越英一郎さんが出てくるような、サスペンスドラマの主題歌に聴こえてきましたもん。
許田どういう褒め方だよ(笑)。

――(笑)。「366日」や「NAO」に続く、新たな名バラードですよね。しかも最後まで希望を見い出さない落ちっぷりがいい(笑)。
仲宗根私はバラードはあえて落ちたままにすることが多いんです。理由はカラオケで歌ってもらうことを想定しているからで、女子が熱唱系のバラードを歌うとき――しかも叶わない恋や失恋の曲を歌うときって、その渦中にいることが多いじゃないですか。そういうときに“前を向いていこう〜♪”とか最後に歌われちゃうと、浸りたい気持ちが萎える。だから前向きなフレーズは入れないんです。
名嘉確かに、前向きなフレーズになった瞬間、演奏やり直しボタンを押したくなる(笑)。今回はそんな風に立ち止まってる曲も背中を押してくれる曲も、人間のあるがままとして入っているので、10曲のうち自分の心境に当てはまものが必ずあると思いますよ。


――そんな『GLOCAL』を完成させて、改めて見えたこと、気づいたことはありますか?
名嘉回り道の良さですかね。例えば東京は機材もスタジオも最新だから、出したい音をすぐに出せるけど、沖縄だと限りある機材で試行錯誤を繰り返しながら出したい音に近づけていかないといけない。でも、その途中でいい音に巡り会ったりもするんですよ。今回はそれをそのままレコーディングしたり、回り道をしながらいいものを制作する体勢をつくれた。そういう“沖縄スタイル”――原点に戻れたことが何よりの発見だし、自分たちの足で1歩踏み出したっていう達成感に繋がりましたね。
(文:若松正子)

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