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古田敦也が負けを認めた天才キャッチャー、プロ入り拒否の理由とは?

 28日放送のTBS系ドキュメントバラエティー『消えた天才』(後6:30〜8:54)に、元プロ野球選手の古田敦也氏が出演。「プロでも自分より守備がすごいと思える選手はいなかった」と語る古田氏が、アマチュア時代に“勝てなかった”キャッチャーがいたことを明かす。

ヤクルトスワローズ時代の古田敦也氏(写真提供:TBS)

ヤクルトスワローズ時代の古田敦也氏(写真提供:TBS)

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 古田氏がその天才と出会ったのは社会人野球時代。当時から強肩で有名な古田氏だったが、初めて見た天才の送球を前に「ホームベースから盗塁を刺す送球が見たことのない速さだった」「衝撃だった」と、一目で負けを認めたという。しかし、その強肩は古田氏に大きな影響を与えた。プロ意識が高かった古田氏にとって、「この天才を超えていかないとプロにはなれない」と奮起。自身のプレーを磨き、1993年にはシーズン盗塁阻止率.644の日本記録を打ち立て、通算でも歴代1位(.462)となるなど、平成の名捕手・古田の原点となった。

 「彼の存在がなければ今の僕はいない」と、古田氏が述懐する天才は、大学No.1キャッチャーとしてメディアからも注目を集め、大学4年の秋にドラフト指名を受けた。しかし、なぜか天才は入団を拒否。そのまさかの事態に球界は騒然とし、“プロ入りを蹴った男”としてバッシングを浴びた。古田氏が「守備でお金がとれる選手」と認める実力がありながら、なぜプロ入りを拒否したのか。

 番組の取材に本人が応じ、その理由を告白する。「プロに行きたい気持ちはあった。プロ野球選手は小さい頃からの夢だった」「本音を抑えてプロ入りを我慢した」と、当時の葛藤を告白。プロ入りしなかった衝撃の事実が明らかになる。22歳の天才が直面した過酷な現実とは…。

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