沖縄1972 写真でたどる日本復帰50年

1972年5月15日、長き米軍の統治が終わり、沖縄が日本に復帰しました。米国の影響が色濃かった人々の日常はどう変化したのでしょうか。沖縄タイムスと朝日新聞社の所蔵写真からたどります。

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朝日新聞社
朝日新聞社

戦後の沖縄 生活の場に基地が迫ってきた

米軍嘉手納基地付近の住宅で、アイロンがけをする女性。縁側に立つ子どもの奥には飛行機が見える=1957年10月

朝日新聞社

米軍統治下だが日本の文物は流通していた

那覇中央市場の書店で、本土の少年・少女雑誌を立ち読みする子どもたち=那覇市、1957年10月

朝日新聞社

先祖伝来の農地 基地にのまれても

米軍が嘉手納基地として接収した土地の中にある農地。米軍は一部の農家に使用を認め「黙認耕作地」と呼ばれた=1971年6月

朝日新聞社

フェンスの向こうに広がる別世界

金網で囲われた米軍基地内にある小学校の児童たち=宜野湾市真志喜のマーシー小学校、1968年4月

沖縄タイムス

米軍統治下でインフラ整備は進まなかった

久米島の離島、奥武島の子どもたちは毎朝約1キロ、竹馬で海を渡って通学した=仲里村(現久米島町)、1966年1月6日

沖縄タイムス

本土と変わらぬ光景 切り離されていても

新年を迎え、晴れ着姿で国際通りに遊びにきた子どもたち。デパートの向かい側で信号待ちしている=那覇市、1972年1月1日

沖縄タイムス

ついに迎えた復帰 子どもに訪れた変化

沖縄で初めてのスクールゾーンは大道小学校周辺に設置された。児童が旗を振って歩く=那覇市、1972年9月22日

沖縄タイムス

鉄道がなかった沖縄にD51がやってきた

復帰後、国鉄職員有志の善意で沖縄に贈られたD51。子どもたちは初めて見るSLに目を輝かせた=那覇市、1973年3月

沖縄タイムス

復帰とともに生まれた地元の人気スポット

復帰記念事業で開園した動物園、沖縄こどもの国。遠足の小学生らでにぎわった=コザ市(現沖縄市)、1972年5月2日

沖縄タイムス

沖縄の警察官が装備していなかったもの

沖縄の警察官が短銃を携帯し始めたのは復帰後のことだった。導入には賛否両論があった=那覇警察署、1976年6月22日

朝日新聞社

ドルから円へ 復帰を象徴する変化

ドルから円への通貨交換は復帰の当日に始まった。市民は銀行へ足を運んだ=那覇市の琉球銀行松尾支店、1972年5月15日

沖縄タイムス

通貨切り替えが引き起こした物価上昇

那覇市の食堂の価格表。復帰を前に5~10セント値上げした。トンカツ50セントに対しAランチ1・5ドル=1972年1月

`` 朝日新聞社

1ドル何円か 市民に広がった不安

通貨切り替えに乗じた商戦。円の受取額が下がることが懸念されていた=那覇市のサンエー那覇店、1972年5月8日

朝日新聞社

基地に隣接する繁華街にあった通学風景

米兵向けの飲食店が並ぶセンター通り(現中央パークアベニュー)を歩くコザ小学校の児童=コザ市(現沖縄市)、1972年5月

朝日新聞社

夜は基地の米兵たちであふれていた

米兵の乱闘が続き、米軍憲兵隊や地元の警察官が巡回した=コザ市(現沖縄市)、1972年5月

沖縄タイムス

米兵向けの商売は変化を余儀なくされた

米軍関係者向けだった飲食店は復帰を控え、看板の文字を日本語に書き換えていた=コザ市(現沖縄市)、1972年5月12日

朝日新聞社

復帰とともに県外との往来が盛んになった

先祖が琉球王家に仕えた川平家。前列左は慈英さん、同3番目はジョン・カビラさん。復帰後は東京へ移住=那覇市、1972年

朝日新聞社

分断の象徴だったパスポート

本土との行き来に必要だったパスポート。復帰後、沖縄出身者たちは分断の象徴を焼いた=兵庫県尼崎市、1972年5月21日

沖縄タイムス

右側通行→左側通行 復帰6年後に実現

「車は左、人は右」への交通変更を前に、カバーを被った標識がずらり。7月30日の実施を待った=那覇市、1978年4月

朝日新聞社

国家行事とともに観光地のイメージが形成

復帰を記念して開かれた沖縄国際海洋博覧会。未来の海上都市をイメージした「アクアポリス」(奥)=本部町、1975年7月

沖縄タイムス

インフラ整備は現在進行形で進む

満員のゆいレールの始発便が首里駅を出発した。平和や豊年を呼ぶ神「ミルク」が見守った=那覇市、2003年8月10日

戦後の日本と沖縄をめぐるできごと

日本全体

沖縄

1945年

広島・長崎に原爆投下

ポツダム宣言受諾

1946

戦後初の衆院選

日本国憲法公布

1948

極東国際軍事裁判でA級戦犯25人に有罪判決

1945
1945

米軍が沖縄上陸、県民の4人に1人が犠牲に

1950

朝鮮戦争始まる

特需景気

1952

サンフランシスコ講和条約発効

1954

自衛隊発足

50
1952

沖縄が日本から切り離される「屈辱の日」

1953

「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる米軍の強制土地接収始まり、反対運動「島ぐるみ闘争」へ

1955

保守合同で自民党誕生、「55年体制」始まる

1956

経済白書「もはや戦後ではない」

1957

このころテレビ・洗濯機・冷蔵庫が「三種の神器」として普及

1958

東京タワー開業

55
1955

石川市(現うるま市)の6歳少女が米兵に暴行されて殺害される

1957

本土への集団就職はじまる

1958

首里高校が沖縄代表として戦後初めて甲子園に出場

1959

皇太子(現上皇)ご夫妻が結婚

1960

国会前の安保闘争で樺美智子さん死亡

1964

東海道新幹線開業

東京五輪

60
1959

石川市(現うるま市)の宮森小に米軍機墜落、児童ら17人死亡、負傷者200人超

1960

沖縄県祖国復帰協議会結成

1965

このころ米国がベトナム戦争に本格介入

1968

3億円事件

1969

東大安田講堂事件

65
1968

読谷村で小学5年女子がパラシュートで投下された米軍トレーラーの下敷きになり死亡

1967

大城立裕「カクテル・パーティー」が沖縄初の芥川賞

1968

初の公選主席選挙で屋良朝苗氏当選

1969

日米首脳会談(佐藤・ニクソン)で沖縄返還に合意

1970

大阪万博

1972

札幌冬季五輪

あさま山荘事件

日中国交正常化

1973

第1次オイルショック

70
1970

復帰を前にした国政参加選挙で衆参議員7人選出

コザ市(現沖縄市)で群衆が米軍車両を焼くコザ暴動/コザ騒動と呼ばれる事件

沖縄こどもの国開園

1971

沖縄返還協定調印

1972

施政権が日本に返還

通貨がドルから円に

1976

ロッキード事件で田中角栄前首相逮捕

1977

王貞治選手が通算本塁打世界記録

75
1975

沖縄国際海洋博覧会

1976

警察官の短銃携帯実施

1978

自動車が右側通行から左側通行に

1978

自動車が右側通行から左側通行に

1983

東京ディズニーランド開業

1984

グリコ・森永事件

80
1980

具志堅用高選手がボクシング世界王座13回連続防衛

1985

日航機墜落事故

1989

昭和天皇逝去、平成に改元

1990

このころバブル経済崩壊

85
1987

沖縄海邦国体

90
1992

首里城正殿を復元

1995

阪神・淡路大震災

地下鉄サリン事件

95
1995

「平和の礎(いしじ)」完成

女子小学生が米兵3人に暴行される

基地整理縮小や地位協定見直し求める県民総決起大会

1996

日米が県内移設条件つきで普天間飛行場の返還合意

1999

選抜高校野球で沖縄尚学が初優勝

2000

沖縄サミット

2001

米同時多発テロ

2002

サッカー日韓W杯

2000
2001

NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」放送

2002

沖縄美ら海水族館開業

2003

モノレール「ゆいレール」開業

2004

沖縄国際大に米軍ヘリ墜落

2005

JR福知山線脱線事故

2008

リーマン・ショック

2009

民主党政権誕生

05
2011

東日本大震災

2012

東京スカイツリー開業

10
2010

鳩山由紀夫首相が普天間飛行場の県外移設断念

興南高校が甲子園春夏連覇

2012

オスプレイが普天間飛行場に配備

2013

仲井真弘多知事が辺野古埋め立て承認

2015

安全保障関連法成立

2019

令和改元

15
2015

翁長雄志知事が辺野古埋め立て承認取り消し

2016

うるま市で米軍属による女性殺害事件

2018

翁長知事死去、玉城デニー氏が知事に

政府が辺野古に土砂投入開始

2019

県民投票で72.15%が辺野古埋め立てに反対

首里城正殿など焼失

2020

新型コロナウイルスが流行

2021

東京五輪

20
2022

沖縄の日本復帰から50年

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