日本復帰後は、沖縄国税事務所の鑑定室による技術研究や、県酒造協同組合の設立で古酒の販売が始まるなど、泡盛製造の地盤が徐々に固まっていった。ただ、消費市場では「島ぐゎー」と呼ばれ、まだ洋酒のシェアが高かった。 1978年、久米仙酒造(那覇市)が投入した商品が市場に変化をもたらす。