16日、沖縄尚学が沖縄県勢の甲子園春夏通算100勝目を挙げた。沖縄県勢初の甲子園出場から63年。節目の1勝に、比嘉公也監督は「何としてもこの一つは勝ちたいと、強い思いがあった」と喜んだ。

 県勢が初めて甲子園の土を踏んだのは1958年。40回の記念大会として各都道府県から1校ずつが出場することになり、首里が初の甲子園切符をつかんだ。米軍施政権下で持ち帰った甲子園の土が船上から廃棄されたこともあり、全国的に大きな注目を浴びた。

 首里は63年に日大山形を4-3で下し、県勢の甲子園初勝利を挙げた。その後は「興南旋風」と呼ばれた68年夏の興南4強に始まり、76~78年夏には豊見城が3年連続で8強入り。90、91年は沖縄水産が2年連続で夏の決勝に進んだ。

 春夏通じて県勢初の甲子園優勝は99年の沖尚。比嘉監督がエースとして優勝に貢献した。沖尚は2008年春に東浜巨(ソフトバンク)を擁し、2度目のセンバツ優勝を果たした。10年には興南が史上6校目の春夏連覇を達成した。

 県勢100勝目の一戦をテレビで見届けた県高校野球連盟元理事長の安里嗣則さん(81)は「打ってよし、守ってよし。こんなにいい試合は初めて」と興奮しきり。技術強化担当として奔走し、本土の強豪校を招いて沖縄独自に野球部対抗競技会を考案するなど、沖縄高校野球の強化に尽力した。「過去の苦労が報われた」と喜びに浸った。