琉球舞踊立方で初の人間国宝に答申された真踊流相談役の宮城幸子さん(87)と琉球舞踊重踊流初世宗家の志田房子さん(84)は、ともに喜びをかみしめた。会見では師匠と共に歩んだこれまでの芸道を振り返りながら「次の世代に伝えることが私の使命です」(宮城さん)、「初心の一歩を踏み出す気持ちです」(志田さん)とさらなる高みへ尽きない思いを語った。

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 「師匠の真境名佳子先生のおかげです」。人間国宝となる宮城幸子さんは亡き師・真境名さんへの「感謝」を繰り返した。

 真境名佳子さん(1919~2005年)は戦後の沖縄で琉球舞踊隆盛の礎を築いた女性舞踊家の草分け。宮城さんは真境名さんが踊る「かせかけ」に目を奪われ、琉球舞踊の世界にのめり込んだ。

 子どもの頃、やんばるの村芝居で見た踊りに心引かれた。中学校の卒業式で踊った「松竹梅」を指導してくれた人が才能を見いだし、「踊りが好きなら那覇に行った方がいい」と勧められ、真境名さんを紹介された。

 真境名さんの教えは厳しかった。柱の前に立ち、姿勢づくり。何度も「歩み」の重要性を説いた。生来の素質と厳しい稽古のかいもあって、1954年に沖縄タイムス社が初めて催した「新人芸能祭」(通称・ベストテン)に入賞した。

 それが転機となり、文化庁芸術祭に参加する芸能団の一員に選ばれた。そこで見た真境名さんや県内芸能界の大御所の踊りに圧倒された。「先生たちのように踊りたい、近づきたい。軸がしっかりした踊りを体得したい」。その一心で、ひたすら芸を磨き、70年の芸道人生を歩んできた。

 7月8日は真境名さんの命日で、仏前に人間国宝となることを報告した。「本来は先生がもらうべきもの。次の世代に伝えていくことが私の使命です」と、師から託されたバトンに思いを新たにした。