■ドアを開ければ4人が
1980年代に人気を博した伝説のロックバンド「BOØWY」愛にあふれるカラオケバーが那覇市松山にある。その名も「BOØWY FAN OKINAWA」。同バンドをコンセプトにしたバーは全国的にも珍しく、県内ではおそらくここだけだ。店主の牧志力さん(54)は「ファンはもちろん、ファンじゃない人も楽しめる場所にしたい。沖縄の新たな観光スポットになればいい」と話している。(社会部・塩入雄一郎)
入り口のドアを開けると、壁一面の大きさのバンドメンバー4人の姿が目に飛び込んできた。ギターの布袋寅泰さんが使ったのと同型のフェルナンデスのギターに、ギグ(ライブ)のポスター、パンフレットが所狭しと飾られ、店内はまるで同バンドが出演していた東京・新宿のライブハウス「ロフト」のようだ。
牧志さんは高校2年生でBOØWYにはまった。歌詞、曲に4人のビジュアル、すべてが格好良く映ったという。バンドは翌年の1988年に解散するが、その後も30年以上ずっと4人を追いかけてきた。
■氷室さんの言葉に一念発起
そんな牧志さんが店を開いたのは2015年7月。ボーカルだった氷室京介さんが40歳を過ぎて語った「これからは自分の時間を大事にしたい」との言葉に影響を受けた。当時の仕事は鮮魚市場の仲買人。「俺もこのまま人生を終わりたくない。好きなBOØWYのバーをできないかと思った」と牧志さん。一念発起して同市久米で開店した。
午前1、2時まで営業し、午前4時から市場で働く「二足のわらじ」生活。睡眠時間は足りなかったが、楽しかった。店の知らせはドラムの高橋まことさんやベースの松井常松さんにも届いた。
■店の復活を後押ししたのは
20年2月には、那覇市で高橋さんを呼んでチャリティーライブも開いた。店のうわさを聞きつけ、芸能人も訪れるようになった。
絶頂期に店を襲ったのが、新型コロナだ。バーの営業ができなくなり、閉店。仲買人も辞めており、アルバイト生活を強いられた。そんな中、店の復活を後押ししたのは、常連客たちだった。
「店で飾ってもらいたい」と、4人のサインが書かれた色紙や、解散直前のライブのパンフレットを牧志さんの元へ送ってきた。オークションだと高額で取引される代物だ。感激し、店を再び開こうと決心。その旨を高橋さんにショートメッセージで告げると、「待ってましたー」と喜んでくれた。
新しい店は今年6月に開店。前より広くなり、電子ドラムを置いて、客が演奏できるようにした。全国各地のかつての常連客も戻ってきた。「全国に店がもっと広まり、沖縄の観光に貢献したい」と牧志さん。情熱のハートは今、松山にある。