沖縄県民なら誰もがその存在を知っているであろうチキンの丸焼き専門店「ブエノチキン」。浅野ブエコ朝子代表(41)は日々、焼き場に目をやったり、レジに立って注文の受け渡しをしたりと、隙のない動きを保ちつつ笑顔を絶やしません。店を引き継ぐ30歳までは広告代理店のコピーライターとして活躍していた浅野代表は、どのようにして県内外からの客足が途切れない、飛ぶトリを落とす勢いの人気店をつくり上げたのでしょうか。今回のシリーズ「沖縄・新時代の挑戦者たち」は、「世界のブエノチキン合同会社」を上下2回で取り上げます。(フリーライター・たまきまさみ)

#上)チキン愛がすごすぎる トライ&エラーの10年 沖縄ローカルから全国区へ(今回)
#下)売り上げ6倍 2代目社長は2児のママ 全力経営支える秘訣とは

 浦添市のパイプライン通り沿いにある「沖縄丸鶏製造所ブエノチキン」は、幸喜孝英(75)と幸子(73)夫妻が1982年に創業して41年になる。2人で育ててきたこの店は、一人娘の浅野が2代目として引き継いで10年が過ぎた。

 「ブエノチキン」は、アルゼンチンに移民していた前オーナーが宜野湾市普天間でオープン。店名はアルゼンチンの首都ブエノスアイレスをイメージしたものだという。普天間店を皮切りに浦添市内で展開していたが、浦添支店を閉店すると聞きつけた孝英らがのれん分けする形で店舗を買い取った。

自らレジに立ち接客するブエノチキン代表の浅野ブエコ朝子さん=2023年7月29日、沖縄県浦添市内間の同店(名護大輝撮影)
自らレジに立ち接客するブエノチキン代表の浅野ブエコ朝子さん=2023年7月29日、沖縄県浦添市内間の同店(名護大輝撮影)

 「これだけあらゆるものがある世の中で、あまりない商品。こんな1店舗しかないお店に沖縄中、日本中からたくさんの人が来てくれる。これを食べるために空港から直行して来たという熱量のお客さんもいる」と浅野は胸を張る。

 ブエノチキンは県産やんばる若鶏を使い、手作業でむいて食べやすい大きさに刻んだにんにくをチキンのおなかにたっぷり詰め込んでいる。にんにくと酢、ハーブなどを使った秘伝のタレに2日漬け込んだチキンを、約1時間半かけて専用のロースターでじっくりと焼き上げる。1羽3~4人分で値段は税込み2千円。柔らかな肉のうまみとさっぱりとした味わいで、女性でも半羽をペロっと完食できる。

 幼少期の浅野の記憶には、両親が夜遅くまで店で働き、帰宅後も帳簿を付けたり、にんにくをむいてひどい手荒れになったりしている姿が刻まれている。「うちの父はスーツも着ていないし、ちょっと珍しい仕事だな」と。

 沖縄県内の進学校、東京の大学を経て帰郷し、大手広告代理店に就職が決まると、かねての夢でもあったテレビCMや広告のコピーを考えるコピーライターとして、忙しくも楽しく活動した。
 
 家業を継ごうと思ったのは、書き入れ時のクリスマスがきっかけ。...