昭和天皇に3度マジックを披露した希代の奇術師・阿部徳蔵。その生きざまと、日本におけるマジックの歴史を「東京アマチュア・マジシャンズ・クラブ」の石崎健治さんが紹介する連載の第3回。

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 1921年、大正天皇の病により、裕仁皇太子(後の昭和天皇)が天皇に代わって執務を行う摂政となった。侯爵徳川義親は昭和天皇より一回り以上年長だが、共に植物学者でもあり、親しい間柄だったと推測される。その義親が「摂政宮にお楽しみいただこう」と企画したのが、阿部徳蔵によるプライベートなマジックショーであった。

 「昭和天皇実録 第三」には、23年7月16日に義親に伴われて葉山御用邸を訪問した阿部が「カード奇術など約四十種」を披露したとの記録がある。阿部が繰り出す不思議な技を、後の天皇は大層お気に召したようだ。

 翌年4月29日、赤坂離宮で催された御誕辰祝賀の場で、阿部はまたも実演の機会を得る。「昭和天皇実録 第四」によれば、この折には皇太子妃(後の香淳皇后)や未成年皇族もご覧になったという。当時のプログラムは、宮内庁書陵部で昭和天皇実録の編さんを担当した梶田明宏氏によって2015年に発見された。ハンカチ、銀貨、ステッキなどを使った多彩な演目が列挙されている。

 昭和天皇が即位した後の1930年6月15日、赤坂離宮で開かれた皇族親睦会でも阿部は余興を務め、米国の“脱出王”フーディーニの作品を基にした人体交換術「荷造箱変化鑑」を実演した。

 記録では、まず義親が袋に入れられ、袋ごと箱の中へ。箱にふたをして16本のくぎを打ったのが、昭和天皇の弟の秩父宮殿下。ここで箱と阿部の姿がびょうぶで隠され、合図とともにびょうぶが取り払われると、箱の中にいたはずの義親が笑顔で登場。箱の中からは阿部が現れる、という入れ替わりマジックだった。

 たった1人で3度にわたり、昭和天皇の御前でマジックを披露したのは、阿部以外に存在しないだろう。普通の人なら大いに自慢するところだが、阿部は生前、この経験をむやみに吹聴しなかった。(アマチュア奇術家)

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 いしざき・けんじ 1948年東京都生まれ。2008年から東京アマチュア・マジシャンズ・クラブ(TAMC)会員。活動の一環として、阿部徳蔵の業績研究を手がける。(共同通信)