学校や仕事など外との交流を避け、原則6カ月以上にわたり家庭にとどまり続けている状態を指す「ひきこもり」。国勢調査を基に、沖縄県内では40~64歳の1万人余がひきこもり状態にあるのとの推計値がありますが、若者を含めた本格的な調査は行われておらず、実態は分かっていません。親友からのいじめをきっかけに不登校になり、10年にわたり断続的にひきこもりを経験した國吉英樹さんが、当事者が抱える胸の内を真っすぐな文章でつづりました。3回続きの連載の〈上〉です。

【全3回連載】
上)向けられたいじめの矛先(今回)
中)不登校の長いトンネル
下)自分らしい生き方模索

 はじめまして。私の名前は國吉英樹と言います。一言で自分を表すと「社会不適合者」です。乾いた木の枝のように折れやすいメンタルとそれに引きずられて体調を崩す体を持っていて、しょっちゅうおなかを壊します。

 特技は他と比較して自分の悪いところをばんばん挙げること。周りを見て比べているようで、その実、自分のことしか見ていなかったりします。我ながら面倒くさい性格だな。

 現・社会不適合者で、自己肯定感よわよわ人間の私が、今までの不登校エピソードを交えながら、どうやって生き残ってきたのか、「不登校児ってこんなこと考えてたんだ」なんてことを知ってもらえる機会になったら幸いです。

 私の全盛期、「人生って楽しい!」と思っていたのは小学生のころ。ゲーム好きで、放課後はよく親友と家でゲームをして遊んでいました。休日は、琉球舞踊を習ったり、出店の仕事をしていた祖母を手伝う名目で祭りに参加したりと、インドアだけど外ではしゃぐのも好きという子どもでした。

 きつかったのは、運動は全クラスの中でワースト1レベルで、体育が憂鬱(ゆううつ)だったことと、好き嫌いが多かったので給食で苦手なものと遭遇すること。その他に、嫌だなって思うことはなかったです。

小学校の卒業アルバムにおさめられていた筆者(右)と母の写真
小学校の卒業アルバムにおさめられていた筆者(右)と母の写真

 人生って辛いなと感じるようになったのは、小6のある出来事から。私の親友が、クラスの子に向かって罵詈(ばり)雑言を浴びせていたのを目撃したのです。ケンカしているという雰囲気ではなく、一方的にあざ笑っているという感じでした。それを見て思わず間に割って入り、「そういうの、良くない」とたしなめました。

 正義感・・・ではなく、親友が誰かを傷つけているところを見たくなかったから、そんなことしてほしくない、という超個人的な理由でした。お陰で親友がクラスの子をののしることは、私の知る限りではなくなり、無事に丸く収まりました。

 矛先が、私に向かったこと以外は。

 親友と一緒にいて、悪口を言われ、あざ笑われることが増えました。私はそれに耐えられず、結果的に半年後、不登校になりました。「それだけで学校行かなくなるの?」って思われるかもしれませんが、学校のある週5日、朝から夕方まで同じクラスで家も近所、そんな親しい関係の人に否定され続けると精神的に参りましたね。むしろよく半年も頑張ったな。

 最初の異変は、朝、家を出る前におなかが痛くなることでした。おなかの内側が鋭利なもので刺されているような痛み。それでも、学校に行くことは「常識」だったのでおなかを押さえながら教室へ。授業中ボーっとするようになって頭に入らなくなったり、「自分は死んだほうがいい」なんて悲観的に考えたりすることが多くなっていきました。

 最後はいつものようにクラスメートに取り囲まれてあざ笑われ、耐え切れずに感情が大爆発し、机を投げつけて泣きながら走って帰りました。物に当たるなんてサイテー。

 家に帰って包丁を取り出し、いじめる相手に対して今までの恨みを晴らすべく引き返す。わけでもなく、「死ねば楽になれる」と自分に刃を向けました。学校に行くことは当たり前、でも学校では傷つけられるから辛い。どうやって生きていけばいいのか、罵倒で萎縮しきった脳で思いつくわけがない。...