2023年09月19日

モバイル・エコシステムにおける競争-デジタル市場競争会議の最終報告の公表

保険研究部 専務取締役 研究理事 兼 ヘルスケアリサーチセンター長 松澤 登

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1――はじめに

2023年6月16日、内閣官房のデジタル市場競争本部のもとで開催されていたデジタル市場競争会議が「モバイル・エコシステムに関する競争評価 最終報告」1(以下、最終報告)を公表した。これは、モバイル端末(典型的にはスマートフォン)にかかわる競争環境を評価するものである。

これまでも政府はオンラインモールやアプリストアといった個々のデジタル市場に着目し、独占禁止法上の解釈を示すなど課題解決に取り組んできたところではある。ただ今回のデジタル市場競争会議は、モバイル機器上で機能しているものを幅広く議論の対象とした。すなわち、モバイルOS(典型的にはiPhoneのiOSとGoogleのAndroid)を基盤となる層(レイヤー)とし、その層の上のブラウザやアプリストアといった層、またその層うえのウェブサービスやアプリといった層の3層(三つのレイヤー)が存在し、それらが相互にどのようにデジタル市場の競争環境に影響を及ぼすかを議論してきた。ちなみにこのような複層のレイヤー構造の下で事業者が互いに共存し、競争するシステムをモバイル・エコシステムという(図表1)。
【図表1】モバイル・エコシステム
特筆すべきこととして、最終報告では独占禁止法の枠組みで論点を整理することにとどまらず、新規立法をもって市場競争を歪める行為を禁止するという方向性をうちだしたことである。今回はその評価と、評価に基づく対応の方向性について解説を行いたい。

2――最終報告の総論部分

2――最終報告の総論部分

1|モバイル・エコシステムの特性
モバイル・エコシステムとは「1.はじめに」で述べた通りであるが、その特性としては新規参入者に対して高い参入障壁が存在する点である。参入障壁は、(1)アプリが増加すると魅力が増して利用者が増加し、利用者が増加するとアプリ業者がさらに参入するなどネットワーク効果が存在すること、(2)UI(ユーザーインターフェイス)デザインへの慣れ、データ移動、アプリ再インストールの手間等によって、ユーザーがロックイン(固定化)されること、(3)開発コストの高さから、規模の経済性が働くこと、および(4)ウェブサービスやアプリ事業者では得られないデータを、OS提供事業者やアプリストア事業者・ブラウザ事業者などが、それぞれ各レイヤーで収集、利用することにより、OS、アプリストア、ブラウザや検索サービスなどの各レイヤーの競争力がさらに増すことによって構築される2
 
2 同上p21参照。
2|目指すべき方向性
最終報告書は、以上のような認識の下で、

「モバイル・エコシステムにおける各レイヤー(やその周辺領域)において、多様な主体によるイノベーションと消費者の選択の機会が確保されること。
その実現のために、以下が確保されること。

 ・ モバイル・エコシステム全体及び各レイヤーに対して、各方面から競争圧力が働くことによって、技術革新等によるイノベーションが促されること。さらに、モバイル・エコシステムの現在の競争環境を大きく変化させるようなパラダイムシフトの可能性の芽を摘まない競争環境が確保されること。

 ・ モバイル・エコシステムにおける各レイヤーが、他のレイヤーにおける競争に影響を及ぼす場合において、当該他のレイヤーにおいて公平、公正な競争環境が確保されること。

・  新たな顧客接点への拡張における競争において、モバイル・エコシステムにおける影響力をレバレッジとすることにより、公平、公正な競争環境が阻害されることのないようにすること。

そして、この際、セキュリティ、プライバシーの確保が図られること」

を目指すものとした3
 
3 同上p28参照。
3具体的な対応
上記2|を目指すにあたり、これまでのツールとしては独占禁止法、およびデジタルプラットフォーム取引透明化法(以下、透明化法)の適用による対応が行われてきた。しかし最終報告では、「モバイル・エコシステムについては、その特性から一度ティッピング(=突然大きな動きが発生すること:筆者注)が生じると一人勝ちの状態(又は寡占状態)になり、市場による治癒が困難、すなわち、市場の機能障害のような状態になっている」ことから、行為類型が特定できる中では「事前に一定の行為類型の禁止や義務付けをするというアプローチ(以下「事前規制」という)がより適切である」とする4。このような事前規制型の立法はEUのデジタル市場法(Digital Market Act、DMA)5と同じアプローチである。

また、「円滑な法執行を実現するためには、市場画定及び競争上の弊害の立証を不要とし、競争に悪影響を及ぼす危険性の高い行為類型について、それを事前に原則的に禁止するというアプローチがより適切である」とする6

法の適用にあたって、市場画定やシェアなどの認定を必要とする独占禁止法では現状の弊害に対応できず、また禁止規定や行為義務規定のない透明化法では対応できない。したがって新たな立法を目指すとともに、禁止規定をより明確にするために指針の策定が目指されることとされた7
 
4 同上p29参照。
5 基礎研レポート「EUのデジタル市場法の公布・施行-Contestabilityの確保」https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=72386?site=nli 参照。
6 前掲注1 P31参照。
7 同上参照。

3――最終報告の各論の全体像

3――最終報告の各論の全体像

最終報告の取り扱う項目の全体像は以下の通りである(図表2)。色塗りの部分を解説する。解説を行わない項目は「引き続き注視」などといった明確な結論を出していないものなどである。
【図表2】最終報告の取り扱う項目一覧

4――各論

4――各論

1.OSやブラウザ等の仕様変更等
1―1.OS、ブラウザのアップデート、仕様変更、ルール変更等への対応
(最終報告の骨子)スマホ用のウェブサイトはスマホに搭載されているブラウザによって閲覧する仕組みになっている。したがって、OSやブラウザが仕様変更、アップデートを行うにあたっては、各種ウェブサイトにおいてシステム対応を要することになる。しかし、アップデートまで十分な時間がなかった、情報開示範囲が十分でなかったなど、ウェブサービス事業者等が十分な対応ができなかったといった事象が発生している(図表3)。
【図表3】OS,ブラウザ変更へのシステム対応
このような事情に鑑み、「当該作業又は調整のために要すると見込まれる合理的な日数を確保した日」を事前開示の期限とする開示義務を設けること、事業者あるいは事業者を代表する者との間で問い合わせや協議に対応するための手続・体制を整備する義務を課すこと、政府への運営状況の報告及び政府によるモニタリング・レビューの実施を行うことが提言されている8

(コメント)ウェブサービス事業者はOS提供事業者が提供するOSの仕様、およびブラウザサービス事業者のブラウザの仕様に従って構築したウェブを提供し、事業を行っている。したがって、OS、ブラウザの変更のタイミング・仕様変更内容によってはウェブサービス事業者の事業が(一時的であったとしても)困難になる可能性がある。このように優越的地位にある事業者の行為によって取引事業者の事業が困難になる場合には、個別の事情によって独占禁止法の優越的地位の濫用で処理できるケースがある可能性がある。ただ、OSやブラウザのアップデートは頻繁に行われるものである以上、独占禁止法の個別事例の事後処理では実際の効果がない。また、立法による事前規制とする場合においては具体的なルール(期間でいえば、たとえば2週間前や一月前など)を敷くことも困難である。したがって報告書のような法で要請される事前開示義務や適正な体制を組むというルールを敷くことが現実的であり、合理性があるものと思われる。
 
8 同上p41~P56
1― 2.OSにおけるトラッキングのルール変更(ユーザーへの表示)
(最終報告の骨子)Appleでは、アプリ事業者が利用者ユーザーを追跡するためには、端末固有IDであるIDFA(Identifier for Advertisers)を利用する必要があるが、IDFAを利用する場合には、事前にApp Tracking Transparency(ATT)というシステムがポップアップによって「あなたのアクティビティを追跡することを許可しますか?」との表示をユーザーに出す仕様となっている。他方、AppleはIDFAを利用せずにユーザー行動に対するデータを収集しているが、この場合より肯定的な表示「より優れた広告エクスペリエンスを提供できます」といった表示しか行っていない(図表4)。
【図表4】端末IDを追跡する際の注意文言の相違
このような事情に鑑み、アプリストアのビジネスユーザーへの利用条件等を公正、合理的かつ非差別的なものとする義務によって対応することとされた9

(コメント)前提として、EUにおいて端末IDは個人情報とされる10が、日本の個人情報保護法では個人情報には該当しない(同法2条)。したがってATTによるポップアップは日本では義務とまではいえない。しかしながら、手段は異なるものの端末IDの閲覧先を同じく追跡することの同意を求めることを定めた以上は、その同意を取得するのに際して、表示が顧客に注意を促すもの(一般アプリ)と、有益であるとするもの(Apple)ではその取扱いが公平ではないという指摘はその通りであろう。また、差別的取扱として独占禁止法上問題となるか(一般指定4項)が議論となりえるが、取引条件ですらない、単なる注意喚起表示の相違を独占禁止法違反であるとする認定を行うのも困難であると思われる11。したがって、最終報告の方向性は是認できるものと考える。
 
9 同上p56~P58
10 https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=64453?pno=2&site=nli 参照。
11 幕田英雄「公取委実務から考える独占禁止法」(商事法務2017年)p173によると、実務では取引拒絶と同様の効果をもたらすような行為に限って適用しているとのことである(p172参照)。
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保険研究部   専務取締役 研究理事 兼 ヘルスケアリサーチセンター長

松澤 登 (まつざわ のぼる)

研究・専門分野
保険業法・保険法|企業法務

経歴
  • 【職歴】
     1985年 日本生命保険相互会社入社
     2014年 ニッセイ基礎研究所 内部監査室長兼システム部長
     2015年4月 生活研究部部長兼システム部長
     2018年4月 取締役保険研究部研究理事
     2021年4月 常務取締役保険研究部研究理事
     2024年4月より現職

    【加入団体等】
     東京大学法学部(学士)、ハーバードロースクール(LLM:修士)
     東京大学経済学部非常勤講師(2022年度・2023年度)
     大阪経済大学非常勤講師(2018年度~2022年度)
     金融審議会専門委員(2004年7月~2008年7月)
     日本保険学会理事、生命保険経営学会常務理事 等

    【著書】
     『はじめて学ぶ少額短期保険』
      出版社:保険毎日新聞社
      発行年月:2024年02月

     『Q&Aで読み解く保険業法』
      出版社:保険毎日新聞社
      発行年月:2022年07月

     『はじめて学ぶ生命保険』
      出版社:保険毎日新聞社
      発行年月:2021年05月

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