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中村八大編<477>ビッグ・フォー

 福岡県の久留米ジャズファンクラブ会長の江越秀明(73)の手元に、一枚のブロマイドがある。数年前、知人のジャズ評論家、岩浪洋三から「久留米出身のジャズピアニストだから」とプレゼントされた。映っているのは中村八大だ。

 江越がジャズに触れたのは小学4年生ごろだ。ラジオ番組「トリス・ジャズ・ゲーム」などを聴いていた。

 「ラジオから『ビッグ・フォー』の演奏が流れ、ジャズに興味を持ち始めました」

 以来のジャズファンだ。江越の言う「ビッグ・フォー」は日本ジャズ創成期の1953年に結成された。日本ジャズ史の中の伝説のバンドだ。オリジナルメンバーはジョージ川口(ドラム)、松本英彦(テナーサックス)、小野満(ベース)、そして中村八大(ピアノ)だ。中村は22歳で最年少だった。ブロマイドが残っているように、まさにこのバンドは当時のアイドル、スターだった。

   ×    × 

 バンドリーダーの川口は戦後の一大ジャズブームの中で「日本人だけのスーパーバンドを結成したい」と考えた。各楽器のトッププレイヤーを選ぶことにした。引き抜きだ。ピアノの人選は最後になったが「中村八大しかいない」となった。

 旗揚げは日劇のステージで、8日間の連続公演。川口は自伝「人生は4ビート!」の中で社会現象になったジャズ人気について次のように書く。

 「一日三回入れ替え制の公演が、びっしり満杯となった。それでも長蛇の列はさばき切れないほどだった」

 ジャズコンサートの形を作り上げ、全国を回り、定着させた。川口によれば、メンバーの平均月収は一人40万円。普通のジャズメンの月収が2万5千円くらいの時代だ。川口はブロマイドにも触れている。

 「売れ行きが浅草の専門店『マルベル』でトップになり、ジャズ・プレイヤーが映画スターより稼ぎまくり、人気商売の最先端をゆく時代だった」

 中村は1947年に創刊されたジャズ専門誌「スイングジャーナル」の読者人気投票ではピアニスト部門では7年連続トップに選ばれている。

 作家の大江健三郎との対談の中で、中村はジャズについて次のように語っている。

 「ジャズってもんは、やはり、プレイヤーの即興的演奏と、それが高揚した場合、人の心にどんどん刺さっていくという現象、そこに本質的なものがある」

  =敬称略 

    (田代俊一郎)

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