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韓国の民主化導いた特ダネ 「ソウル大生拷問死」暴く

言論統制下、国民動かす

 【ソウル池田郷】韓国南西部の光州市で1980年5月、学生や市民らの民主化要求デモが軍によって武力鎮圧された「光州事件」以降も、韓国の軍事政権は学生運動などを徹底的に弾圧した。87年、民主化への重い扉をこじ開けた転機は韓国紙のスクープだった。活動家のソウル大生が警察の取り調べ中に死亡した事実をつかみ、厳しい言論統制をかいくぐって記事化した元中央日報記者の申性浩(シン・ソンホ)さん(64)が当局との息詰まる攻防を明かした。

■端緒

 87年1月、韓国最高検公安4課長の事務室。「警察は大変だ」。端緒は雑談していた課長の何げない一言だった。申さんは意味を測りかねながらも、とっさに事情を知るそぶりで答えた。「そうですね」。鎌をかけたのだ。

 続く課長の言葉に事の重大性を確信した。「ソウル大生だよね。南営洞(対共分室)で…」。平静を装う申さんの湯飲みを持つ手が震えた。

 南営洞対共分室はソウルにあった警察庁機関。北朝鮮のスパイや民主化運動関係者らを取り締まり、「連行されたら無事には帰れない」と恐れられていた。

■自信

 「南営洞で取り調べ中のソウル大生が死んだようです」。事務室を出た申さんは社会部に電話した。当時の中央日報は夕刊紙。すぐに同僚記者と協力して捜査関係者や遺族を取材し事件の概要を把握。出先で記事を書き、本社にいる先輩記者に電話口で原稿を読み上げて送稿した。

 最後に社会部長が電話を替わり、申さんに念を押した。「(記事に)自信はあるか? 少しでも間違いがあれば、おまえも俺も局長、社長も南山(行き)だ」。南山とは当時の国家安全企画部の隠語。誤報なら厳しい取り調べや関係者の処分は避けられない。

 「自信があります」。そう答えたものの、紙面を刷る輪転機が回り始めると恐怖で胃が締め付けられた。

 ≪取り調べを受けた大学生“ショック死”≫。社会面に載った記事の扱いは小さかった。だが政府や捜査機関の不祥事は握りつぶされることが多かった当時の韓国社会には衝撃だった。

 申さんはその日、拘束を恐れて帰宅せず、本社近くの旅館に身を隠した。

■検閲

 軍事独裁の全斗煥(チョン・ドゥファン)政権は光州事件後の80年12月、言論基本法を施行するなど統制を強化。申さんによると当局者が毎日、編集局に現れて記事の内容や扱いに介入した。85年2月、全政権と対立する金大中(キム・デジュン)氏(後の大統領)が亡命先の米国から帰国した際には記事を1面に載せることや、帰国を歓迎する支持者の写真を掲載することも許されなかったという。

 申さんの特ダネは締め切り直前に紙面に突っ込んだため、事前検閲を免れた。後追いした他紙の報道で、ソウル大生の死因が水を張った浴槽に頭を押し込む「水拷問」だと判明した。

 ソウル大生の非業の死は国民の怒りに火を付けた。うねりは韓国全土に拡大。87年6月、全政権が大統領の直接選挙や言論の自由を約束した「民主化宣言」となって結実した。

 申さんは現在、成均館大(ソウル)の准教授としてメディア論を教える。「民主化後も捜査機関による冤罪(えんざい)など公権力の人権侵害はなくならない。87年に夢見た理想の社会は完成しておらず、現在進行形だ」。権力を見つめるまなざしには記者魂が生き続けている。

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