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横山やすしさん大暴走 酒に暴言…生放送の番組で相次いだトラブル

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(54)

 ここ数カ月、世間をにぎわせている吉本興業。闇営業が発端の不祥事とふがいない経営陣。なかなか収束しそうにありません。どうなるやら。その吉本に私は30年以上仕事で携わり、新喜劇の台本を書いたり、新人タレントを発掘する「NSC」と呼ばれる養成所の東京校設立に参加し、講師をしたりしていました。

 吉本が東京に本格的に進出したのは、私が31、32歳の頃だったと記憶しています。東京の責任者だった木村政雄さんに事務所、確か乃木坂にあったかなあ、そこに呼ばれ、大阪で人気だった桂文珍の東京進出番組の構成作家として仕事を受けました。木村さんは吉本興業の元常務、切れ者で敏腕。この方が今も会社にいたら、ここまでひどい状態にならなかっただろうと、33回目の「まるで吉本新悲劇だ」で話しました。

 その後も木村さんとの付き合いがあり、「お願いがあるわ」と今度は横山やすしさんの番組を頼まれました。言わずもがなですが、西川きよしさんとの漫才コンビ「やすきよ」で1970~80年代の漫才ブームをけん引し、スピード感あふれる丁々発止のしゃべくりで天下を取った天才。しかし、酔った上での暴行などの不祥事もあり、やがて漫才での出番も少なくなりました。

 TBSで週1回深夜に放送されたトーク番組「やすしの度胸一発」(1985年4~9月)。やすしさんのお笑いは大好きですが、担当を引き受けるのは度胸一発では済みません。

 受けてみたところ、やはりトラブりました。酔って出演して番組にならなかったり、暴言を吐いたりとエスカレート。しかも生放送です。毎回ハラハラしていました。女性アナウンサーを司会に置きましたが、暴走を抑え切れず、やすしさんと懇意だった吉本新喜劇の山田スミ子さんを急きょキャスティングし、「やっさん、あかんよ」となだめてもらいました。

 眼鏡とひげを生やした私の風貌から着想したのでしょう。初対面で「おっ、松本零士やないか!」と大声で言って、人懐っこい笑顔を見せてくれましたね。

 番組終了後の深夜に、やすしさんやスミ子さんたちと鉄板焼き店で食事をするのがいつものコース。べろんべろんのやすしさんを赤坂のホテルに連れていくのは私の役目でした。

 そのホテルで、やすしさん、あるプロレスラーと対峙(たいじ)したことがありました。「人間山脈」です。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

………………

 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年08月20日時点のものです

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