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「伝統つないでいく」 博多松囃子が重要無形民俗文化財に

「令和にふさわしい形に」

 国の文化審議会が福岡市の「博多松囃子(まつばやし)」を重要無形民俗文化財に指定するよう答申した17日、博多松囃子振興会の関係者は喜びに沸いた。振興会の堀武志会長(63)は「地域の絆を強めて、伝統をつないでいきたい」と語った。一問一答は次の通り。

 -指定されることへの感想は。

 思わぬ喜びだった。松囃子を受け継いできた先人たちは、昔からの形を残すために努力されてきた。感謝の思いを大切にしたい。

 -商店や企業などを祝って回る松囃子は、全国的にも希少とされる。守っていくために何が大切か。

 祭りの基盤となる地域コミュニティー。松囃子は子どもからお年寄りまで、それぞれに役割がある。博多に子どもを持ったファミリーが多く住めるよう、行政にも支援をお願いしたい。

 -フェスティバル色が濃い「博多どんたく」で、民俗行事の松囃子の認知度はいまひとつのようだが。

 松囃子は伝統行事。過去に豪雨でパレードが中止になった際でも開催してきた。「どんたく」の源流だが、フェスティバルではない。松囃子には見物客が傘鉾(かさぼこ)の下をくぐって、無病息災や子どもの健やかな成長を願う風習もある。特色をもっとPRしたい。

 -松囃子は明治初めまで新年の祝賀行事。原点に戻り、正月に開催しては。

 理想の形だが、難しい。当時は黒田家の城主がいて、その表敬だった。松囃子はその後に禁止令が出ても、招魂祭などの祝賀行事という名分で開催時期を変えて継承された。5月3、4日に定着したのは戦後から。今の日程を受け継ぎたい。

 -今年5月には、指定後初となる松囃子を迎える。期するところは。

 指定後初でも、松囃子はこれまでとたがわずにやっていく。春の松囃子と夏の山笠(の継承)は、博多のもんの役目と思っている。

 ただ、博多のレガシー(遺産)として残ってきた松囃子だが、後継者や運営費の問題は安泰ではない。今まで通りでいいのか、令和の時代にふさわしい形はどうあるべきか、指定はそれを問い直す契機になる。 (手嶋秀剛)

「今年は盛大に」声弾む関係者

 「博多祇園山笠に続いて全国区の祭りになった」。福岡市・博多の伝統行事「博多松囃子(まつばやし)」の地元では、関係者が声を弾ませた。

 博多松囃子振興会の事務局があり、行事の出発点となる櫛田神社(博多区)。阿部憲之介宮司(66)は答申を喜ぶと同時に、「松囃子を支える中心として覚悟を持って臨む」と表情を引き締めた。「(松囃子は)住民の自助努力で守られている。その中で法人格を持つ神社の果たす役割は大きい」と語った。

 神社にある博多歴史館や近くの博多町家ふるさと館は、三福神の古面、舞姫の衣装、傘鉾といった資料を保管する。両館とも祝意を込め年内に企画展を計画中で、博多を挙げてお祝いムードが高まりそうだ。

 松囃子を源流とする「博多どんたく港まつり」を主催する福岡市民の祭り振興会会長の藤永憲一・福岡商工会議所会頭も「歴史と伝統をあらためてかみしめて、今年の祭りを盛大に祝いたい」と歓迎した。指定に向け必要な資料収集に当たった福岡市の高島宗一郎市長は「松囃子が幾度もの消滅の危機を乗り越え、継承されたことに敬意を表し、市としても振興に取り組みたい」とコメントした。 (日高三朗、手嶋秀剛)

【博多松囃子】「博多どんたく」(5月3、4日)の期間中、福神、恵比須(えびす)、大黒の三福神と傘鉾を仕立てた3流(ながれ)や、舞を披露する稚児流が商店や企業などを祝って回る。室町時代に正月を祝う行事として既に行われており、江戸時代に盛んになった。明治以降も開催時期を変えながら続いている。江戸期に松囃子に合わせて、町人たちの仮装や山車などの「通りもん」が繰り出した。これが発展し、現在の博多どんたくになった。博多松囃子の最古の記録は室町時代の1539年。

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