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【スターのミカタ】スピッツ草野が16年前に語った原点「天神のベスト電器の辺りを歩くと…」

福岡スタア倶楽部​​​​​ー2005(平成17)年1月19日 西日本新聞ー

 まだ「旅の途中」だと彼らは言う。そういえば既に18年目のキャリア。でも、それを感じさせないのがスピッツの魅力。メンバーの草野マサムネさんと田村明浩さんをGET! 時代の空気を取り込みつつ、濁らない「強さ」を感じて。(O)

 ―どんな子ども時代でしたか?

 草野:実家の近くは田んぼや畑ばかり。その中で虫や魚を捕ったり、神社でかくれんぼして遊ぶ普通の子でしたね。昔からいわゆる「オタク」っぽい性格だったと思うんですが、観察や飼育が好きという姿勢はそのまま音楽にもシフトしている気がします。

 田村:サッカーが盛んな地域で、幼稚園の文集で「将来はサッカー選手になる」と書いたり。でも小学校行ってうまい子のプレー見て、がく然としてやめました。夢捨てるの早すぎ!(笑)

 ―独特の詞の発想はどこから?

 草野:作ろうと思って作れるもんじゃない。会話をしているときに「なんで今?」ってタイミングで浮かんできて「ちょっとすみません」と中座してトイレでテレコに吹き込んでみたりとか。自分でも読めません。

 ―新アルバム「スーベニア」。今まで以上に新鮮な印象を受けました。

 草野:テーマとして弾き語りでもいけそうな楽曲を作りたいという意識があったんです。それこそ、スピッツって分かんないようにして、何人足を止めてくれるか分かんないけど、西鉄福岡駅前の路上で歌えちゃうような曲を、と。

 ―「テイタム・オニール」とかもベースの魅力が生きていますね。

 田村:いつも「曲が呼んでいるんだからっ、しょうがない」って感じで弾いてるんですよ。最近は自分の音というよりも、レコーディング中も周りの音を楽しんでやってて。特にこの曲は「ドラム楽しそうにやってんな」と感じて演奏してたんで、結果的にベースも良くなっている部分もありますね。

 ―「みそか」にはイラク戦争など、今の世界へのメッセージを感じた。

 草野:ちょっと浮きまくる覚悟で。同時多発テロのときに、報復攻撃に反対した女性議員がいた。「たった一人ですごいな」と思った。時代の空気というのは無意識に入ってくる。大事なときにまわりから浮いていいから、自分の思いを口にできる覚悟がほしい。この曲は自分へのメッセージでもあるんですよ。

 ―結成18年目。長続きの秘けつは?

 草野:もともとオレと田村は大学の同級生。ギターのテツヤは田村の幼なじみで、ドラムの崎山はテツヤと同じ学校だったというつながりで今のメンバーができあがったんです。

 田村:普通「バンドやろうぜ!」ってなると、腕のいいヤツを集めようとするところを「合わせやすそう」とか「いさかいがおこらなそう」という基準でできてしまった。そんなところで長続きしているんじゃないかな。でもこのバンド、コピーしようとするとラクそうで難しい。ああ、これがバンドの武器なんだな、それなりに積み重ねてきたものがあると手応えは感じてますね。

 ―それぞれ福岡とのご縁は?

 田村:僕はやっぱり「元藤枝ブルックス」のアビスパ福岡が気になる。早くJ1に復帰してほしいですね。

 草野:オレは地元ですから、エレキギターにあこがれてたときに天神のベスト電器に週末「見学」にいってたんですよ。あの辺歩くと胸を躍らせていた記憶がよみがえりますね。今度こそ、買いに行こうかなあ…。

 田村:それ永ちゃん(矢沢永吉)だと「天神に行ってワンフロア全部楽器買い占めたんだ。夢をかなえたよ」ってビッグな話になるんだろけどね。(笑)

     ◇

 ▼スピッツ 草野マサムネ(写真左、ボーカル、ギター)1967年12月21日、福岡市出身。田村明浩(ベース)同年5月31日、静岡県藤枝市出身。この2人に三輪テツヤ(ギター)、崎山龍男(ドラム)を加え87年に結成。91年「ヒバリのこころ」でメジャーデビュー。95年「ロビンソン」の大ヒットでトップバンドとしての地位を築く。

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 「福岡スタア倶楽部」は、創刊140年を超える西日本新聞のデータベースを掘り起こし、福岡ゆかりの芸能人の懐かしいお宝記事を紹介します。紙面掲載した記事を当時のまま再現しており、内容は取材時点のものです。

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