チェルノブイリ原子力発電所事故を体験して

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1986年のチェルノブイリ原発事故発生当時、在ソ連日本大使館の総括参事官として邦人保護の対応にあたった桐蔭横浜大学法学部客員教授・津守滋氏が、福島第一原発事故への教訓となる点を提言する。

遅れた公式発表

1986年4月26日午前1時23分、突然爆発したチェルノブイリ原子力発電所第4号炉の大事故が公式に発表されたのは、28日夕方9時のニュース番組「ブレーミャ」であった。事故発生後60時間以上経過していた。トップニュースだったが発表文は10秒と短く、チェルノブイリ原発で巨大な事故(アヴァリア)が起こり、閣僚をメンバーとする委員会が現地に向かったとする内容だった。当時在ソ連日本大使館の総括参事官であった私ほか館員は、手分けしてソ連当局に問い合わせたが、「夜遅いので担当部署につなげない」と門前払いであった。

増幅する風評

それから約1カ半、日本大使館はソ連当局との折衝、モスクワ在住750人の邦人への説明とその保護に明け暮れた。木で鼻をくくったようなソ連側の説明は、「モスクワは安全」との一点張りで、外交団が団体交渉でいくら問いただしても、放射能値など具体的説明は一切なかった。

結局各大使館は、自己防衛のため本国から専門家を招き、独自に放射能検査を行った。我が方も東海村から専門家に来てもらい、邦人が最も心配した水、野菜など食料品の放射能値を調べてもらった。事故発生後、風は時計と反対回りに吹き、真北のフィンランドから、オランダ、スイス、ドイツ、ルーマニア辺りの放射能値が相当上がったのに対し、チェルノブイリ北東750kmのモスクワの濃度は、正常値に近かった。

問題は人間の心理。特に子どもの甲状腺癌の恐れと女の子の将来の妊娠についての恐怖を増幅する根拠なき風評が行き交った。邦人への説明で最も難しかったのは、不必要な不安感を起こさせないようにしつつ、同時に必要な注意事項を徹底させることであった。

核への過信

チェルノブイリ事故と今回の「福島第一」のそれを比較すると、前者は稼働中の原子炉が爆発し、1000km以上もの広範囲にわたって放射能を撒き散らしたのに対し、福島の場合は一部炉心溶融があったと思われるものの、放射能被害は、今のところその程度、範囲ともそれほど大きくないなどいくつかの点で違いはある。

しかし、共通して次のような教訓が引き出せよう。過剰反応は厳に慎む必要がある。今回国内では人びとは比較的落ち着いて行動しているのに対し、外国メディアのなかには事実に基づかない記事や一方的で偏った論調がみられる。これは復旧・復興に必死に取り組んでいる現場の被害者や日本人全体に対して有害であるのみならず、国際経済にも悪影響を与える。

チェルノブイリは、単純な操作ミスによって生じたが、福島もこれほど大規模な津波を想定していなかったという点で、広い意味では人為的な原因での事故と言える。いずれの場合も、原子力という核エネルギーの取り扱いに対する「基本的態度」に問題があり、かつ過信があったというべきであろう。

(3月25日 記す)

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