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映画『ビヨンド・ユートピア 脱北』キム・ソンウン牧師が語る「私が脱北者支援を続ける理由」

Cinema 政治・外交

北朝鮮を逃れる脱北者たちが、韓国との国境を渡ることはない。地雷200万個と厳重な監視を避けるため、彼らは中国やアジア各国を経由して、実に1万2000キロもの距離を移動しなければならないのだ。映画『ビヨンド・ユートピア 脱北』は、その想像を絶する旅路に密着した、米アカデミー賞の有力候補とも目される衝撃のドキュメンタリー。本作に出演した脱北支援者のキム・ソンウン牧師が来日し、壮絶な仕事と自らの思いを語った。

キム・ソンウン(金承恩) KIM Seung-eun

1965年、韓国ソウル生まれ。カレブ宣教会の牧師で人権活動家。脱北者たちを支援者する「地下鉄道」の中心メンバーとして、2000年以来これまでに1000人を超える脱北者を手助けしている。

再現映像は一切なし、衝撃のドキュメンタリー

「映像を撮影したのは製作陣や当事者たち。再現映像は使用していない」。ドキュメンタリー映画『ビヨンド・ユートピア 脱北』の冒頭にはこんなテロップが表示される。監督のマドレーヌ・ギャヴィンは、まだ編集段階の映像を友人に見せたところ、「すばらしい再現映像だ」と言われ、映るものすべてが現実であることを強調しようと決めたそうだ。

監督の友人が再現映像だと思い込んだのも無理はない。本作が映し出すのは、これが現実とは思いたくないほど恐るべき光景ばかりだ。北朝鮮の国境を超えたばかりの一家(夫婦と幼い姉妹、80代の祖母の5人家族である)が韓国を目指し、中国やベトナム、ラオスの街やジャングルなどを抜けてタイへ向かう過酷な旅路。または、北朝鮮からソウルにひとり亡命した女性が、最愛の息子を脱北させるべく奮闘する様子……。

息子のジョンチョンさんを救出しようと手を尽くすリ・ソヨンさん。事態は想像を絶する展開に転がってゆく © TGW7N, LLC 2023 All Rights Reserved
息子のジョンチョンさんを救出しようと手を尽くすリ・ソヨンさん。事態は想像を絶する展開に転がってゆく © TGW7N, LLC 2023 All Rights Reserved

2組の家族をカメラが追う合間には、隠しカメラによって撮影された北朝鮮の実情が挿入される。大人たちは路上で食べ物などを売る日々を送り、各家庭では農業の肥料として糞便を政府に提出する。子どもは学校で厳しい訓練を受け、時には罪人たち──彼らは政権を批判したり、韓国の映画を観たりしただけだ──の処刑を見届けるよう指示される。少年少女でさえ、反乱分子とみなされれば拷問ののち収容所に送られるのだ。

この映画の“主人公”と言うべき人物が、韓国・カレブ宣教会のキム・ソンウン牧師である。脱北者の支援組織「地下鉄道」の主要メンバーであり、過去24年間にわたり、韓国やアメリカ、日本などへの脱北者1015人(※取材時点)のサポートを続けてきた。彼は脱北ブローカーと自ら交渉し、北朝鮮を出たばかりの亡命者本人とも電話でやり取りし、そして危険な最前線に自ら乗り込んでゆく。

キム・ソンウン牧師。数多くの脱北ブローカーや、隠しカメラのネットワークとも深いつながりを持つ © TGW7N, LLC 2023 All Rights Reserved
キム・ソンウン牧師。数多くの脱北ブローカーや、隠しカメラのネットワークとも深いつながりを持つ © TGW7N, LLC 2023 All Rights Reserved

「これまで人々の脱北をサポートするなかで、私はドキュメンタリーやテレビ番組などの取材をたくさん受けてきました。日本ではNHKで放送された番組もあります。脱北者の問題を世界に知らせるため懸命に努力してきましたが、これまではさほど大きな反響はありませんでした」

そんな中、この『ビヨンド・ユートピア 脱北』は世界で高く評価され、キム牧師も日本やアメリカなど世界各国のメディアに取材された。「私自身がドキュメンタリーに出るのは、名前や顔が広く知られてしまうため非常に危険なこと」だと話す彼が、それでも取材を受け続けるのは、「それほど脱北者の問題が深刻だから」だという。

来日したキム牧師は、時ににこやかに、時に真剣にさまざまな話を聞かせてくれた
来日したキム牧師は、時ににこやかに、時に真剣にさまざまな話を聞かせてくれた

危険な最前線に、命がけで乗り込む理由

脱北者支援において、キム牧師は、単に亡命の手はずを整え、関係者に指示を出すだけのブレーンではない。映画でも描かれているように、彼はベトナムで脱北者一家と合流すると、危険なジャングルに足を踏み入れ、しばらくは家族と行動をともにするのだ。北朝鮮や中国に存在を認識される前は、亡命経路のすべてに同行していたため、過去には首を骨折したり、崖から落ちたりしたこともあったという。

「死にかけるような経験を何度もしてきました。もしも捕まれば死刑ですし、たとえ捕まらなくとも危険な道のりであることに変わりはありません。ミャンマーとラオス、タイの国境が接する麻薬密造地域『黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)』では、麻薬を運んでいると思われて発砲を受けました。脱北者と乗っていた船が嵐に遭い、全員が死にかけたこともあります」

そればかりではない。過去には北朝鮮がキム牧師の暗殺を2度試みているほか、中国でさえ入国すれば逮捕や拉致のリスクがあるのだ。いまや「北朝鮮と中国には二度と行くことができない」という。

危険な旅に同行した撮影監督のキム・ヒョンソクらは、目を疑うような映像を多数捉えている © TGW7N, LLC 2023 All Rights Reserved
危険な旅に同行した撮影監督のキム・ヒョンソクらは、目を疑うような映像を多数捉えている © TGW7N, LLC 2023 All Rights Reserved

それでもキム牧師は、できる限り自らが介入するかたちで支援活動を続けている。来日の約2週間前にも、脱北者3名をこの映画と同じルートで亡命させたばかりだというのだ。なぜ、命の危険を冒してまで脱北の最前線に飛び出していくのか。

「確かにブローカーに任せてしまえば、予算は少なく済みますし、自分が危険な目に遭うこともありません。しかし私が現場に行かなければ、ブローカーが脱北者の女性をレイプする、妊娠させる、あるいは高額で売り飛ばすという事態が起こりかねないのです。また、ブローカーたちは最小限のコストで最大限の利益をあげようとします。だから、私たちが安全のために車2台を借りて脱北者を移動させるよう頼んでも、コストを抑えるために車1台で済ませたり、バスや電車、汽車などで移動させたりしてしまう。

ブローカーは脱北者を物同然に考えており、『捕まった時はしょうがない』とさえ思っています。そんな中で私が一緒に行動し、同じ言語を話し、同じ経験をすれば、脱北者たちは安心できるし、トラウマも小さくなる。そもそも私は牧師ですから、人の命を救うことだけでなく、イエス・キリストの福音を伝えることも大切な仕事です。そういった経験を通じて、キリスト教へ導かれる方も実際に増えています」

「アメリカ人は邪悪な人殺し」と教わってきた一家の祖母パク・ソンオクさんは、アメリカ人の撮影クルーを前に何を語るのか © TGW7N, LLC 2023 All Rights Reserved
「アメリカ人は邪悪な人殺し」と教わってきた一家の祖母パク・ソンオクさんは、アメリカ人の撮影クルーを前に何を語るのか © TGW7N, LLC 2023 All Rights Reserved

脱北者支援と宣教活動

「もしも宣教活動でなければ、きっとここまではできなかった」。そう語るほど、キム牧師にとって脱北者支援と宣教活動には深いつながりがある。「これまでに『コッチェビ』(※北朝鮮における孤児となった浮浪児のこと)の脱北をたくさん手助けしましたが、彼らが韓国でキリスト教の信仰生活に至ったことが、私には一番の喜びなのです」

もっとも、キム牧師もこれまでの人生で数々の悲しみや苦悩に直面してきた。脱北者を支援するために中国を訪れた母は一時収監され、また中国で生活基盤を築いていた妹とその息子も、支援に関わったがゆえに韓国へと戻らざるを得なくなったのだ。およそ10年前には、キム牧師自身の息子が支援活動のさなかに命を落としている。

「母や家族が中国を追放されたことは、つらいながらもまだ耐えることができました。しかし、息子が先に逝ってしまったことは本当に苦しかった。妻も『もう死んでしまいたい』と口にしていたほどです。しかし、妻が断食をしながら日々祈り続けていると、ある日、神が『あなたの息子は天国にいる、だから悲しむことはない』と語ってくださいました。その時、息子のぶんまで、これからも脱北者を救うのだという使命を与えられたように感じたのです。その力があったからこそ、私たち夫婦は1000人以上の脱北者を支援できたのだと思います」

脱北者の一家に、キム牧師はいつも優しく穏やかな口調で語りかける © TGW7N, LLC 2023 All Rights Reserved
脱北者の一家に、キム牧師はいつも優しく穏やかな口調で語りかける © TGW7N, LLC 2023 All Rights Reserved

現在、キム牧師はこの映画を通して、北朝鮮や脱北者の問題が世界中により広く知られ、人々の行動を呼び起こせることを期待している。日本での公開が実現したことに関しても、このようにメッセージを送ってくれた。

「韓国と見方が異なる部分はありますが、日本は北朝鮮の問題を世界で最も重く捉えている国のひとつ。横田めぐみさんらの拉致問題について、日本から『情報を提供してほしい』と問い合わせが来ることもありますし、脱北者支援に関わるため、日本から北朝鮮に一時入国して脱北を手伝った方もいらっしゃいます。韓国の隣国であり、北朝鮮に大きな関心がある日本で、この映画がいま上映されることを嬉しく思っています」

取材・文=稲垣 貴俊

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[参考資料]

This film about North Korean defectors comes with a disclaimer: ‘No re-creations’(Roll Call)

You Call This Paradise? The Chilling Reality Of Life In North Korea Exposed In ‘Beyond Utopia’ – For The Love Of Docs(Deadline)

Interview With the Beyond Utopia Team: Between Happiness and Sorrow, There Is Some Beauty Still(ASIAN MOVIE PULSE.COM)

© TGW7N, LLC 2023 All Rights Reserved
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作品情報

  • 監督:マドレーヌ・ギャヴィン『シティ・オブ・ジョイ~世界を変える真実の声~』
  • 製作:ジャナ・エデルバウム『大いなる遺産』、レイチェル・コーエン『ダンシング・ハバナ』、スー・ミ・テリー(元CIA)
  • 製作年:2023年
  • 製作国:アメリカ
  • 上映時間:115分
  • 配給:トランスフォーマー
  • 公式サイト:transformer.co.jp/m/beyondutopia/
  • 2024年1月12日(金)TOHOシネマズ シャンテ、シネ・リーブル池袋ほか全国公開

予告編

バナー写真:映画『ビヨンド・ユートピア 脱北』より © TGW7N, LLC 2023 All Rights Reserved

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