きょう78回目「終戦の日」 戦没者追悼式、遺族は高齢化
戦後78回目の「終戦の日」となる15日、政府が主催する全国戦没者追悼式が日本武道館(東京・千代田)で開かれる。岸田文雄首相や全国の戦没者遺族らが参列する。新型コロナウイルスの影響で規模は4年連続で縮小されるが、参列予定の遺族は13日午後6時時点で1501人と、2019年以来4年ぶりに1000人を超える見通し。
追悼式は新型コロナウイルスの感染拡大前は例年6千人程度が出席していた。参列する遺族には高齢者が多いことから、参列者同士の座席間隔を左右1席分空ける。22年は左右に加え前後にも1メートルの間隔を取っていたが、今年は前後の間隔を詰める。マスク着用も参列者の任意とする。
厚生労働省は参列できない遺族ら向けに動画投稿サイト「ユーチューブ」で式典の様子を中継する。追悼式では首相が式辞を読み上げた後、参列者全員で1分間の黙とうをささげる。天皇陛下がお言葉を述べられ、衆参両議院の議長や最高裁判所長官、遺族代表が追悼の辞を述べる。
当初は約2000人の遺族が参列予定だったが、台風7号の影響で愛知県や京都府などの遺族が参列を見合わせた。
先の大戦では軍人・軍属約230万人と民間人約80万人の計約310万人が犠牲になった。参列を予定する遺族のうち戦後生まれは43.2%。80歳以上は42.2%で22年から1.8ポイント上昇し、高齢化が進んでいる。
78年前の8月15日、正午に玉音放送
太平洋戦争の末期、1944年末ごろから本土への空襲が本格化した。東京への空襲は終戦までに122回に及んだ。45年3月10日未明、現在の江東区や台東区など下町の木造住宅密集地にB29爆撃機が無差別に焼夷(しょうい)弾を投下した。この東京大空襲で約27万戸が焼失し、約10万人が亡くなったとされる。
原爆投下により広島は約14万人、長崎では約7万4千人が45年末までに亡くなった。45年8月15日、昭和天皇はラジオ放送を通じ「終戦の詔書」を読み上げ、ポツダム宣言を受諾したことを国民に知らせた。玉音放送は正午に始まった。
旧厚生省の1977年のまとめによると日中戦争を含めた戦没者は310万人余りに上る。このうち軍人、軍属らは約230万人。軍人、軍属らの死因について公式統計はないが、歴史学者の故・藤原彰氏は約6割が飢餓や栄養失調による戦病死だったと分析した。
戦後に国の戦没者追悼行事を望む声が上がり、政府は52年5月、全国戦没者追悼式を初めて開いた。63年5月の閣議決定で8月15日の開催が決まり現在に至っている。82年4月には毎年この日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とすると閣議決定された。
日本が東京湾に停泊する米戦艦ミズーリ上で降伏文書に調印したのは45年9月2日で、海外ではこの日を終戦記念日にしているケースも多い。