優しい視線、人間の愚かさ包み込む(演芸評)
桂南光、古希記念独演会
59歳で逝った桂枝雀。師匠が生きることのなかった60代、桂南光は精力的に落語と向き合い真に噺家(はなしか)になれたという。そんな気力の充実を実感させた「古希記念 独演会」の千秋楽(6月26日、大阪松竹座)。届けたのは50余年の噺家人生を凝縮したような珠玉の南光落語だった。
「壺算」は十八番。瀬戸物屋の番頭をまるめこむ男の駆け引きにうさん臭い調子良さが漂い、合わない勘定も知能犯的口八丁でケムに巻く。混乱し半泣きの番頭が降参するオチまで笑いどおし。滑稽味あふれる語りの自在さは痛快なほどだ。
そして「らくだ」。裏長屋で無茶(むちゃ)者のらくだが頓死、兄貴分の男が紙屑(かみくず)屋を巻き込んで通夜のまねごとをする噺だ。南光は底辺の男らの息遣いとたくましさを軽妙に活写。紙屑屋の述懐や酒がもたらす立場の逆転などツボをはずさぬ面白味(おもしろみ)で物語に引き込んでゆく。
が、それだけじゃない。本来難儀な荒くれ者としてしか語られないらくだの人物像も浮かび上がらせる。幸薄い生い立ちと根はワルじゃない逸話を盛り込み、そんな男のはかない人生に思いをはせ見送る者のない哀れな屍(しかばね)に情を寄せるのだ。「葬礼(そうれん)やー、葬礼やー」と火屋へ向かう紙屑屋が夜空に流れる星を見上げて叫ぶ「らくだ、成仏せーよ!」はせめてものはなむけ。孤独な魂を慰め救う祈りでしめくくった。
誰もこんな「らくだ」はやらない。リアルな心情を独自に投影してきた南光ならではだろう。優しい眼差(まなざ)しは性善説に通じ、この噺を手がけなかった枝雀が演じたならと、師匠と心を一つにしたような洞察と共感力で練り上げた演出だ。胸に響いた人の愚かさと哀歓。まさに人間賛歌の落語であった。
(演芸ジャーナリスト やまだ りよこ)
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