舞台と人生(1)女優 森光子
でんぐり返しに重ねる思い 編集委員 内田洋一
ことし生誕100年を迎えた女優、森光子さんをしのぶとき、思い出されるのはこんな話だ。
第2次世界大戦のさなか、森さんは歌手として、みたび戦地慰問に出かけた。シンガポールで海軍慰問の日々を送ったときのこと。宿泊先の船内でコレラ患者が出て、乗員はセントジョンズ島に隔離された。
雑務に追われる室長には皆なりたがらない。けれど、森さんはその任につくのが楽しみになった。夜の見まわりを告げる「巡検5分前!」の号令。小屋の全員が毛布をかぶるが、室長だけは外で待つ。ジャッジャとブーツの音が近づいてくるまで30分はかかる。見上げれば南十字星が輝き、降るような星空。
「総員、異状ありません」
大声で報告するまでの間、星のしじまをひとりで独占できる。なんてすてきなんだろう。
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2007年12月に「私の履歴書」を連載するにあたり、森さんとくりかえし会った。そのころ87歳、亡くなる5年前だった。昭和の激動を生き抜いた女優はつらいときの、ちょっといい話を努めて口にする。本当は戦地でも爆撃に遭ったり、肺を病んだりしていたのだが……。
京都の木屋町にあった割烹(かっぽう)旅館の生まれで、母は芸妓(げいこ)、父には別の家庭があった。その父も母も森さんが小学校を出て間もなく帰らぬ人となり、映画の子役で働いた。孤独な少女は夏ともなれば、鴨川べりの涼み床で、夜空を仰いだ。以来、森さんの心の友は月と星になる。
子役から歌手に転じたら、結核で肺活量が衰える。上方の喜劇女優にはなれたが、主役はめぐってこない。「幸運は目の前でユーターンする」。森さんは自らにそう言い聞かせていた。
初の主役だった「放浪記」のときばかりは、運がユーターンしなかった。...
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