「最低でも金」田村亮子、悲願の金 2000年シドニー五輪
2大会続けて夢を断たれてきた「YAWARAちゃん」に、ついに歓喜の瞬間が訪れた。2000年シドニー五輪。ブロレトワ(ロシア)との決勝戦の畳に上がった柔道女子48㌔級の田村亮子は、開始36秒、一瞬の隙をついて内股を跳ね上げた。瞬く間に一本を奪うと跳びはねながらガッツポーズし、顔をくしゃくしゃにして涙を流した。
99年大会まで世界選手権4連覇を遂げていた田村も、五輪の頂点とはここまで無縁。16歳で挑んだ92年バルセロナ大会での銀メダル以降、無敗で臨んだ96年アトランタ大会も未知の伏兵ケー・スンヒ(北朝鮮)に敗れ、決勝で涙をのんだ。
「最高で金、最低でも金」と自らにプレッシャーをかけた3度目でついに雪辱。「初恋の人に巡り合えた気持ち」との弁も話題になった。結婚して間もない04年アテネ大会は谷亮子として連覇。出産して臨んだ08年北京大会は銅と、日本選手史上最多となる5大会連続メダルのすべてがドラマ仕立てのヒロインだった。