さよならタイムマシン経営
ヤフーの"親離れ"が映す日本ネット業界の岐路
「タイムマシン経営」のたそがれ――。主に米国からの「輸入モデル」で稼いできた日本のインターネット業界の潮目が変わりつつある。タイムマシン経営といえばソフトバンク社長の孫正義が唱えてきた、米国と日本のネット産業における成長度の"時差"を活用した経営スタイル。ソフトバンク子会社のヤフーが米ヤフーと資本面での提携関係見直しに着手したことは、踊り場に立つ日本のネット業界の縮図にも見える。
1月18日。日本時間の未明に米メディアを通じて伝わったニュースに、ヤフー社長の井上雅博はショックを隠せなかった。経営再建中の米ヤフー共同創業者で元最高経営責任者(CEO)のジェリー・ヤンが、米ヤフー取締役のほか、日本のヤフーと中国アリババ・グループ取締役も含め、全グループの役職から身を引くという。
ヤンとは1996年にソフトバンクと米ヤフーの合弁でヤフーを立ち上げて以来、タッグを組んできた。その日の朝、出勤すると井上は全社員に向けて電子メールをしたためた。「Jerryが去るのは非常に残念です」――。16年間日本のヤフー取締役を務めたが、退任の意向は井上にも事前に知らされなかったようだ。
井上の脳裏には、米スタンフォード大在学中にネット検索サービスを立ち上げたヤンをソフトバンク社長の孫とともに訪ね、資本・業務提携をまとめ上げたころの記憶がよみがえっていた。
社員あてメールで井上は、こうもつづった。株式時価総額1兆3800億円の大企業に育ったヤフーの成長を、ヤンに「強力にサポートしてもらいました」。そのカギとなったのが、「アメリカでの成功体験や失敗体験をアドバイスしてもらい、経営判断に取り入れ、当社の成功にも大きく貢献していただいた」ことだった。
これこそ、孫が90年代後半から2000年代に繰り返し口にしてきた「タイムマシン経営」の体現だった。米日のネット産業の成熟度の違いに目を付け、有力な米ベンチャーにいち早く出資して上場益や含み益を得て、日本にも同様の事業モデルを移植。その"時差"によるアービトラージ(さや取り)で収益をあげるというモデルだ。
ヤン退任から1週間たった25日。社員向けメールでは行間から感傷もにじみ出たが、アナリスト向け決算説明会に現れた井上はこう語った。「日本は2年遅れぐらいで米国のあとをついていったときは、タイムマシン経営もうまく働いた」が、「15年もたつと、日本と米国のネットを取り巻く事業環境がだいぶ変わってきた」。
それゆえヤンが退任しても、同社の経営に「それほど深刻な影響はない」と断言。実質的にタイムマシン経営の旗を降ろす宣言でもあった。日本のヤフーはかねて独自の事業サービスを増やし、独立独歩を志向してきた。足元では米ヤフーが持つ日本のヤフー株売却をめぐる交渉が続く。資本面でも事業面でも、ヤフーの"親離れ"はますます濃厚になりそうだ。
ヤフーだけではない。米国からの「輸入型」で稼いできた日本のネット業界の潮目がいま、変わりつつある。
例えば、ミニブログ大手の米ツイッターや、ビジネス向け交流サイト(SNS)大手の米リンクトインの「輸入」で知られるデジタルガレージ(DG)。両社には設立当初から出資し、日本語版サービスの運営を一手に担ってきた。
そのDGが今度は、日本・アジア発グローバル企業の育成にかじを切る。「『グローバル梁山泊』を目指す。今年は勝負の年だ」と、CEOの林郁は力を込める。日本やアジアで設立間もない企業を発掘し、組織的にベンチャー育成に乗り出すという。
発掘を目指すのは、ずばり「ポスト・フェイスブック」だ。それが大風呂敷ではないのは、DGが、近く米国で株式公開(IPO)をするとみられるフェイスブックにいち早く投資していたことからも透けて見える。
DGはベンチャー育成の発射台として、ネット業界の最先端の開発手法として注目される「アジャイル開発」で指折りの米・シンガポールの2社を1月に買収したばかりだ。両社のノウハウを使ってソフトの開発・検証を週単位で繰り返し、新サービスをいち早く世に送り出す。
ネット広告の老舗であるサイバーエージェントもアジアに熱い視線を注ぐ。投資子会社を通じ、ベトナムやインドネシアなどでベンチャー投資を活発化している。ネット通販・広告、ソーシャルメディアなどの分野で、設立直後の有望なベンチャーを発掘するのが狙い。こうしたベンチャー投資のファンドを次々組成している。グローバルでの運用規模は現在の約80億円から15年に400億~500億円程度に引き上げる。
日本のネット各社が相次ぎ"親離れ"し、「日本から海外へ」の方向にかじを切っている底流には、大きなパラダイムの変化が横たわる。ネット産業が台頭して15年あまり。その後のIT(情報技術)進化は、タイムマシン経営が通用したころの時差や国境といった壁をことごとく取り払った。
例えば、ネット経由でソフトを利用するクラウドコンピューティングが普及し、大型の設備投資がなくてもネットベンチャーを立ち上げることが可能になった。
「ネット起業に物理的なロケーションはもはや関係ない」。こう話すのは、90年代から00年前後の日本のネット業界育ての親として知られ、再びベンチャー投資に精力を傾けるネットエイジ(東京・目黒)社長の西川潔。そんな西川は有望な起業アイデアの種がないか、日本だけでなく世界各地に目を配る。
ユーザーのITリテラシーが高い日本市場だが、ネット人口は1億人弱にとどまる。アジアなどに活路を見いださなければ、世界での競争からふるい落とされかねない。岐路に立つ日本のネット業界には、「もう米国から学び尽くした」という意識よりむしろ、危機感が漂っているようだ。
=敬称略 (杉本晶子)