関西弁の「知らんけど」、個を尊重 有川ひろさん
関西のミカタ 作家
■代表作「図書館戦争」シリーズなどの「ミリタリー×ラブコメ」や、日常を切り取った心温まる作品で知られる作家の有川ひろさん(48)。大学進学で兵庫県に移り住み、就職や結婚、作家デビューを経て四半世紀が過ぎた。
地元意識が強いけど、住んでいるうちに溶け込めるおおらかさが関西にはある。電車で隣になった知らないおばちゃんが「アメちゃんいる?」って言ってくるし、私もスクラッチ券を知らない人にあげたことがある。高知から来たときも違和感はなかった。
関西の文化で特に好きなのは「知らんけど」。「~やで」と断言しておいて、自分はこう思ってるけど他の人はどうかは知らないよ、という意味で「知らんけど」とくっつける。人間同士で利害関係が完全に一致しないということがわかっているのだと思う。
何か文句言われても「知らんがな」と、嫌われる勇気がある。私も人から100%好かれることはないと思っている。間違いは否定するけど、嫌いな人はわざわざ争わず放っておけばいい。
新型コロナの感染拡大で、あらためて「関西人は強いな」と思った。東京の友人は子どもを公園で遊ばせるのも近所の目を気にして緊張しているらしい。それに比べて関西の人は「周囲にどう思われるか」より個人個人で判断をしているよう。自分の損得に敏感な商人気質とでもいうのか、良くも悪くもビジネスライク。関西のそういう気質の中で暮らしたことは作品にも影響しているかもしれない。
■東日本大震災の直後には「自粛は被災地を救わない」とのメッセージを発信した。1995年の阪神大震災の経験が背景にある。
当時は学生で、尼崎市の古い木造アパートに住んでいた。巨人が地面を持ってめちゃくちゃに揺さぶっているような揺れで、布団をかぶっていることしかできなかった。震災は感性に焼きつく経験だったので、作品にも少なからず影響していると思う。
震災から10日後くらいに電車で大阪に出た。家の近所では建物が倒壊しているのに、大阪は何も起こってないみたいに通常営業していることに驚くと同時に頼もしく感じた。のちに発生した東日本大震災では、首都である東京にこそ大阪の強さを持ってほしいと思ったものだ。
2011年の東日本大震災のときは、仕事で東京にいた。翌日には関西に戻ることができたが、その後全国的に娯楽を自粛する空気が広がった。でも被災地以外が自粛しても、被災地には何も届かない。むしろ無事な地域の人たちこそが経済を回さなければいけないと思い、「阪急電車 片道15分の奇跡」の試写会で「自粛は被災地を救わない」とメッセージを伝えた。
■コロナ禍の中でも「自粛」という言葉があふれる。
11年3月末に出版された「県庁おもてなし課」の印税はすべて東日本大震災の被災地に寄付することを決めた。支援の気持ちはもちろん、エンタメを楽しんでほしいという気持ちがあったからだ。
今もコロナで自粛ムードが漂っている。でも真剣になりすぎると自分が潰れてしまうので、心を避難させないといけない。深刻なときほどエンタメは必要だ。要不要でいえば必要のないものに入ってしまうけど、エンタメの一切ない人生は結構苦しいものになる。今こそ読書をしてほしい。自分以外の経験や人生を知り、人生を羽ばたいていく翼を強くするために。
観光業で苦しんでいる人もいる。それぞれが使えるところでお金を使っていってほしい。作品を見る自由、見ない自由があるのと同じで、GoToキャンペーンなどの政策も利用してもしなくてもいい。気兼ねなく選択できる空気になっていくといい。
(聞き手は三浦日向)
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