貴乃花親方退職の一因、一門って何?
Q 角界の一門制度とは何か。
A 明治時代から始まったとされる相撲部屋の集団のことです。現在は出羽海、二所ノ関、時津風、高砂、伊勢ケ浜の5つの一門があります。かつては一門単位で地方巡業を行うなどしていました。現在は以前ほどの結びつきはありませんが、場所前に定期的に一門で連合稽古をしたり、一門内で優勝力士のパレードに参加したりしています。
Q 貴乃花一門という名称を聞いたことがある。
A 貴乃花親方はかつては二所ノ関一門に所属していました。相撲協会の理事選は各一門で立候補者を事前に調整して、無投票で当選することが慣例的でしたが、貴乃花親方は2010年理事選で一門の調整に従わずに強行出馬し、当選しました。その後、賛同した親方たちとともに「貴乃花グループ」として活動していましたが、14年に日本相撲協会からも「貴乃花一門」として認められるようになりました。
Q 貴乃花一門はなぜなくなったのか。
A 貴乃花親方の求心力が低下したためです。昨年10月に起きた元横綱日馬富士による貴ノ岩への暴行問題を巡って、貴乃花親方は相撲協会と激しく対立しました。巡業部長として事態を把握しながら協会に報告せず、協会の再三の調査要請にも応じませんでした。急進的な態度に嫌気が差した親方たちは貴乃花親方から離れていきました。今年2月の理事候補選で貴乃花親方は出馬しましたが、わずか2票しか集められず、5期連続の当選を逃しました。その後、貴乃花親方は「貴乃花一門」の名称を返上し、どこの一門にも所属せず活動していました。
Q なぜ無所属のままではダメだったのか。
A 相撲協会が7月の理事会で全ての親方は5つある一門に所属しなければならないと決めたためです。これまで各一門には協会から運営補助金が支給されてきました。芝田山広報部長(元横綱大乃国)は「個人に支給されると、透明化を図るのが難しくなるので、きちんとした形で一門に拠出しようと考えた。全親方が5つの一門に所属し、一致団結して取り組みたい」とし、各一門にガバナンス(組織統治)強化を担ってもらうと説明しています。また、「一門に所属しなければ廃業しなければならないと決定された事実はない」とも強調しています。
Q ほかの旧貴乃花一門の親方の動きはどうだったのか。
A 9月の秋場所中は頻繁に一門会が開かれていて、無所属や阿武松グループの親方は、二所ノ関一門や出羽海一門に加入することが内定していました。事実上、所属先が決まっていないのは貴乃花親方一人で孤立している状況でした。
Q 貴乃花親方は各一門に受け入れられなかったのか。
A 暴行問題の協会の対応を巡って、今年3月に内閣府に告発状を提出するなどした貴乃花親方に強いアレルギーを持つ親方が多かったのは事実です。ただ、貴乃花親方を心配する親方も数多く、ある親方は場所前から一門との仲介に動いていました。一時は貴乃花親方もある一門に入る方向で了承したといいます。ただ、ある親方は「貴乃花親方は自ら歩み寄ってくれなかった。それでは一門は合意できない」と話します。貴乃花親方の真意はわかりませんが、自ら孤立を選択したのかもしません。
Q 退職届を出す事態を防げなかったのか。
A 全親方が5つある一門に所属しなければならないと協会が決めたのは7月26日で、所属先決定の期限は理事会がある9月27日でした。当時の貴乃花親方の状況を考えれば、2カ月という期間では短く、孤立する状況は容易に想像できました。9月27日の時点で所属先が決まっていなかった場合は、協会は「もう一度期間を取って一門への所属を調整する方向だった」と説明していますが、貴乃花親方は圧力と受け取って退職を決断した可能性はあります。
一方で貴乃花親方の対応にも疑問符がつきます。周囲の親方の再三の説得に耳を貸しませんでした。退職前日もある親方が説得していたといいます。貴乃花親方は「弟子たちの将来を見据えた苦渋の決断だった」と話していますが、果たして退職以外の道はなかったのでしょうか。結果的に、優勝22回の平成の大横綱が46歳の若さで協会を去るということは、角界の大きな損失だといえます。
(金子英介)