もっと関西 京都人、今は「おばんざい」と呼ばず!(とことんサーチ)
奉公人の食 慣習変わり「おかず」に
京都の家庭料理として知られる「おばんざい」。京都の街中を歩いてみると「おばんざい」と書かれた看板やちょうちんを目にすることも多い。だが、京都の人は普段「おばんざい」とは言わないらしい。では、おばんざいとは一体何で、どんな言葉なのか。真相を探った。
京都市の歴史ある飲食街の先斗町に向かった。京阪本線三条駅近くの米穀店で単刀直入に聞いてみた。「おばんざいって言葉、使いますか?」。
京都で生まれ育った店主の梶原寿夫さん(60)は「日常生活で言ったことはない。『今晩のおかずは?』というのが普通だ」と迷わず話した。親や友人が使うのも聞いたことがなく「テレビなどでいつの間にかよく聞くようになった」と語る。
一方、先斗町で24年前からおばんざい料理店「ほっこりや」を営む店主の松本美智代さん(63)は「おかずという意味でこれまでも使い、消えた言葉ではない。料理関連の店や人が集まる洛中ではまだ使われているのでは」と話す。
地域や家庭で意見は分かれる。ただ京都に昔から住む人10人に尋ねたところ、日常的に使うとの回答はわずか1人。詳しい背景を知る人には出会えなかった。
歴史を知りたいと思い、2015年に「おばんざいに関する報告書」を書いた京都大学大学院農学研究科にある「おばんざい研究会」代表、藤掛進さん(65)を訪ねた。藤掛さんは「定義するなら『京都の日常的な家庭料理』だが、多くの京都の人は今は使わない」と明かす。
ばんざいという言葉が登場する最も古い文献は1849年に関西で発行された料理本「年中番菜録」だという。大根など食材ごとに煮物や汁物の作り方が書かれた、日々の献立に役立つレシピ本だ。
注目は「番菜」という漢字。「『番』は番茶のように『常用な・粗末な』、『菜』は『おかず』という意味がある」(藤掛さん)。数を取りそろえる意味の「おかず」や、茶わんの周りに副菜が並ぶことから「おまわり」といった言葉もあるが、「どちらも100年以上前では高価なもの。ばんざいは庶民向けの食事だった」と指摘する。
当時は家庭に奉公人やお手伝いらがいて「主人は高級な仕出し料理、奉公人らは手元にある野菜で作ったおばんざいを食べていた」(藤掛さん)。だが奉公などの慣習は次第に薄れた。食生活が豊かになり奉公人が食べた「おばんざい」より高価な響きの「おかず」という言葉を使おうと多くの人が思った。習慣と意識の変化が重なった結果、おばんざいという言葉は影を潜めたと藤掛さんは分析する。
消えかけた言葉が全国に広がったきっかけは、随筆家の故大村しげさんらが1964年ごろに新聞に投稿した「おばんざい」という京都の食に関する連載だとされる。「京都の人が日常的に使って浸透したのではなく、京都の食文化を表す言葉として全国に広まった」(藤掛さん)。1830年創業のかまぼこ店の店主、浅田信夫さん(80)も「フランス人が毎日フレンチを食べないように京都の庶民も毎日は京料理を食べない。京都の食文化の中で、庶民が食べるおかずにも注目が集まったのではないか」とみる。
松本さんは「開業当時はおばんざいを知らない客も多かった」と打ち明ける。松本さんは手軽に京都の食を楽しみたい人と、多忙で家で食事を作らず外食に家庭料理を求める人が増えた結果、おばんざいに注目が集まったとみる。「最近は市内でおばんざいと名乗る店が増え、外国人観光客も来る」。別の店にいた米テキサス州の会社員、ティム・ウィルソンさん(44)は「言葉をインターネットで知り、家庭料理に興味を持った」と話す。
ただ、松本さんは「おばんざいは作り手の真心が大事。客が風邪を引いていたら豆腐のあんかけを作ったりする、作り手の思いや姿勢も広まってほしい」と話す。藤掛さんは「8の付く日にはあらめ(荒布)を食べるといったしきたりや、だしから作るこだわり、京都の食材を無駄なく使う点など歴史や精神も一緒に残していきたい」と語る。
だしをとっておばんざいを作るのは時間も手間もかかる。当時は質素な食事だった番菜も、現代では家で簡単には味わえないぜいたくな品かもしれない。
(大阪経済部 岡田江美)